名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

また大した少年現る

宝永2年6月17日。
昨夜子刻(午後11時)から石川運平がまた吐逆・腹痛・発熱し、四肢がこわばり、息も絶えるがまたふき返す。
今朝は吐くのはおさまる。
言葉ははっきりしているが四肢のこわばりはおさまらず。
昼過ぎについに死んでしまう。
10歳。
近頃食傷し熱などがあり馬場三設が附子理中湯を用いて快方にむかった。
しかし、痛が腹に入り、陰茎や股に及ぶと。
疝気かと云々、実は薬毒かと。
大補薬が強すぎて容態が変わったか。
昨晩の血の吐きようはひどかった。
あるいは薬毒で血ではないとも。
体に傷はなく、〇(欠字)色で死ぬ。
近頃、出雲守(松平義昌)様歩頭内藤権之右衛門に御誘い(肩たたき)で暇が出る。
智多郡有松村甚右衛門倅与四郎12歳が9日にぬけ参り、13日に帰る。
お祓い(厄払いの札)を買えなかったことを悔やむ。
この日明け方往還筋で古履を拾ったところ、お祓いの添えられた小さい剣入った新しい内宮のお祓い箱が与四郎の背中に落ちて来た。
師の名前はなし。
往還の者たちも見た者が多かったと云々。
庄屋甚三郎の代官所への報告の手紙を文左衛門は自分の目で見る。