名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-12-08から1日間の記事一覧

時代劇に出てきそう

宝永3年8月30日。巳(午前9時)前から文左衛門は源太左・曽右・瀬左・平次左とともに250文ずつ金を出して伊勝山に出かける。宗寿のところで1日中酒を頂く。(中略)戌刻(午後7時)に帰宅する。近頃、竹腰兵部が知行所大牧(ママ)兵内のところへ…

様物の後で弁当を食う気が知れない

宝永3年8月29日。辰半(午前8時)から文左衛門は曽右と源太左へ出かける。瀬左なども居合わせる。そこからためしもの場へ見物に出かける。胴が4つあり、国奉行・町奉行が拝領する。猪谷唯四郎がこれを切る。申刻(午後3時)過ぎに終わる。それから通…

宝永3年8月26日。老中宅で国奉行・町奉行を並ばせ叱られ、書付も出す。大意は近年何事においても不注意がないようとのことであるので、永らく江戸に殿がおられるので、ますます気を引き締めるように。詮議などかかる者も多いのでますます慎むように。配…

確かに隼人正は軽率そう

宝永3年8月25日。伊与殿の使いで隼人正が叱られる。少し前に追鳥狩と称しながら、鹿などを狩ったためと云々。隼人正は軽率であった。この春にも新町下の屋敷で自ら生胴を切る。世間には打ち首の者を拝領したので自分のところで首を打ち、様し物にしたと…

一体何を話されたのか

宝永3年8月27日。辰半(午前8時)から文左衛門は瀬左・曽右と源太左へ出かける。酒を頂き、夕飯・夜食までも頂く。戌(午後7時)頃に帰る。この日申(午後3時)頃、都筑弥兵衛宅へ友弥が出向くようにと手紙が来ていた。その様子を聞くために出かけて…

あー、また遊び癖が始まってる

宝永3年8月24日。昼過ぎから小一が文左衛門のところにやって来る。夕飯を出し、その後連れ立って大曽根杁から志賀へ網打ちに出かけ、夕暮れに帰る。

これも普峯院様の法事なんですかね

宝永3年8月23日。名代は志水甲斐。津守様(松平義行)から長屋紋右衛門、奥様から渡辺庄蔵。出雲守様(松平義昌)から井上七郎兵衛、奥様から(欠字)。青山奥様から新番岡野清治郎。

義直の長女京姫のことです

宝永3年8月22日。普峯院様の33回忌の法事が行われる。27日のことで政秀寺で行われ、僧50人が出る。名代は中条主水殿、馳走奉行は成瀬内膳・高木主計・星野七右衛門、足軽頭後藤彦太夫・青山儀左衛門。

遠嶋とか追放とか、はたまた許されるとか大騒ぎ

宝永3年8月21日。遠嶋・追放の輩が許されて召し返され、扶持・切米下される。200俵ずつ、小出壱岐守、中根主税、飯田次郎右衛門。10人扶持、笹山彦之丞。50俵、高城六左衛門。20俵ずつ、野村盛安、木村玄竹。遠嶋 見分間違のため御徒目付北条平…

次は狂言ですか

宝永3年8月17日。大須で十三郎の狂言が行われる。演目は八百屋お七かたり。夕暮れから政右と佐藤幾右を呼び、亥(午後9時)過ぎに帰る。

連日のようにお遊び

宝永3年8月15日。巳(午前9時)過ぎから加兵とともに味鋺へ魚釣りに出かける。申(午後3時)過ぎに瀬左もやって来る。酒や肴を思うまま楽しむ。夕暮れ後、安井の堤から山田・矢田へ向かう。道すがら右に松並木、左に白砂、流水に光が踊り、波が砕け竹…

働かずに一体何をしているのか

宝永3年8月12日。文左衛門は昼前から加兵へ出かけて酒などを頂くうちに仁右衛門・安兵衛がやって来る。網のいは(網の重り)を鋳る。文左衛門も夕飯を頂く。そこへ又十郎もやって来る。申(午後3時)前から漁を見物に行く。味鋺から勝川へと出かける。…

急な大雨とは、こりゃ大変

宝永3年8月11日。近頃、鍛冶屋町下大池の花火がにぎわい、大曽根あたりもこれにおされ、大方は皆鍛冶屋町へ出かける。大池の堤の上では周りを囲い、1寸の余地もないほど見物人があふれる。男女・老少・貴賤が集まり、弁当・毛氈を持ってたくさんの人が…

藁葺きとか板葺きは手入れが大変

宝永3年8月9日。この日文左衛門は板返し(板葺きの屋根を葺き替える)を行う。葺き師を雇い、長屋のほかは残らず板返しを行う。2分(1分は約3ミリ)ほどの板を買う。

夏らしい光景

宝永3年8月8日。申(午後3時)前から文左衛門は瀬左と源太左へ行って稽古をし、夜話をする。近頃、源太左の南の大池で花火や流星(からくり花火)が何度も行われる。この夜も座って流星を見る。月に向かって詩を詠み、酒を呑みながら楽しむ。亥(午後9…

潔く退く

宝永3年8月6日。竹腰信濃守が到仕(官職を退き引退する)、家督は相違なく息子民部に下される。大寄合の席で仰せ付けられる。信濃守は帯刀と号する。

三郎進さん、あなたは冷酷

宝永3年8月3日。申(午後3時)頃、書院番松平甚右衛門が若党を手討ちにし損ね、若党は走り出して児玉三郎進のところへ駆け込み、手を合わせて命乞いをした。三郎進は聞き入れて茶の間に入れ、まずは追ってくる辻番を𠮟りつけて返し、そして首を居合切り…

当時は街灯もないだろうから日が落ちれば真っ暗

宝永3年8月1日。文左衛門は昼半(午後0時)から味鋺へ魚釣りに出かけ、夕暮れに帰る。志賀の江筋から大曽根に向かうが、日暮れに道に迷ってしまう。田の中へ転び、時に水の中を渡り、畔に沿って歩きながらようやく新道に出る。大曽根に行き、少し花火を…

宝永3年8月の天気です

宝永3年8月3日。夜半、雨が降るが、しばらくして止む。宝永3年8月5日。曇。宝永3年8月8日。天気が安定せず。未(午後1時)から晴れる。2、3日残暑が厳しい。宝永3年8月10日。曇。宝永3年8月11日。曇。辰(午前7時)から少し雨が降る。…