名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

急な大雨とは、こりゃ大変

宝永3年8月11日。
近頃、鍛冶屋町下大池の花火がにぎわい、大曽根あたりもこれにおされ、大方は皆鍛冶屋町へ出かける。
大池の堤の上では周りを囲い、1寸の余地もないほど見物人があふれる。
男女・老少・貴賤が集まり、弁当・毛氈を持ってたくさんの人が見物する。
茶や売物も多く、縁取1枚を10銭で貸し出す。
酒は徳利などに入れて盃を添えて売り廻り、あぶり餅・かば焼きなどをたくさん売る。
ただし茶屋の店はなく、その時々で筵・薄縁などをひいて茶を売る。
歴々の諸士や妻女なども大勢やって来る。
花火は種々の趣向を凝らしており、綱火(操り人形と仕掛け花火が融合した花火)は大池の上に張り渡して飛ばす。
道成寺のからくりもある。
その他種々趣向があるが、ここではいちいち記さない。
それぞれ素晴らしいものであった。
流星(からくり花火)などが上がるたびに人々がどよめき、まるで雷のようであった。
五十人目付は押の者を連れて毎夜見廻る。
道成寺の大からくりを見て、その主の名を問うと云々。
武兵町・鍛治屋町下などの侍屋敷へは知音(知り合い)が多く行き、屋根に上って見る者も多くいる。
この夜の急な大雨のため上へ下への大騒ぎとなり、雨具も持っておらず我先に逃げようとする。
騒ぎ声は雷のようで、老人や子どもは踏み倒され、女の子は転倒する。
その前から畠の持ち主は毎夜棒を持って出かけて畠を踏ませないようにしていたが、この夜の大騒ぎではどうすることもできなかった。
畠一面を人が走り回り、作物を踏まないよう止めようとするが、聞き入れられなかった。
扇・鼻紙入・綿帽子・きせるなど落し物はどれだけあるのかわからなかった。
今宵の五十人目付鳥居半平も走って鼻紙入を落としまい、仕事の書付が入っていたので召仕・押の者が探し回った。
武兵町下の杁の中へ13、4の侍の娘が水の勢いで落とされたが、かろうじて上がった。
近頃の噂では魚住半右衛門の婿80石寄合森本惣十郎の女房と10歳になる女の子が半右衛門のところへ来て戻らなかった。
このため惣十郎は半右衛門の悪事などを訴える巻物2巻を持参し、寄合触流(触れを伝える役職)に出した。
触流が応じなかったので、女房の肝煎石黒三郎左衛門のところへ持って行く。
ここでも離別の事であれば応じるが、半右衛門の身の上ことであれば知ったことではないと言われた。
おとな(家老)に申し出て目付へ伝えようとしたが、家老も応じなかった。
どういうことか尋ねるため。
まずは差し止めると。(この条本文のまま)