名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

本寿院様、蟄居

宝永2年6月15日。
今年の津嶋祭はとりわけ人が集まる。
夜、久屋と鍛冶屋町の間の下馬杭の側の道で50ぐらいの男を裸にして、4ヶ所を切って殺し、サイミ(ママ、細身か?)の帷子で巻いて俵に入れて捨ててあった。
江戸において本寿院様が四つ谷の屋敷へ入る。
岩之丞様が同道するが途中でわざと帰られる。
即刻、国用人河村九郎右衛門、用人嶋沢代右衛門が使いで本寿院様はそこに留まるようにと云々。
道具などはすぐに持ち運ぶ。
本寿院様を始め女中などはずいぶん驚くと云々。
本寿院様は元来淫乱で人の道からは外れていた。
そのため公儀からの内意で蟄居する。
今後は殿様の対面もないはずである。
近頃も一位様の気分がすぐれない際に、様子が変わらないうちに急いで引っ越すようににと内意があったと云々。
気分が晴れるように引っ越せせよと言いつけられ、引っ越しした後から道具が届く。
追って年寄が引っ越し祝いに向かわれた。
目付両人と五十人目付両人柴山百介が四つ谷に詰める。
公儀から尾張藩の老中に内意がある。
本寿院様が新しい屋敷に入ったので、門などは堅く守り、商人などは一切入れないようにと堅く仰せ付けられると。
本寿尼が汚した輩は役者・町人・寺僧および中間などまで甚だ多かった。
身分の低い者は金を拝領することが多かった。
昨年あたりには中条主水の家来を気に入り、もらい受けて寵愛した。
これ以前にも石川七郎右衛門などをも犯す。
公義局右衛門督殿もお気に入り。
この者からいろいろとその道を教えられた。
園姫様とも仲が良く、ともに淫乱であった。