名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

取り入るのは別にいいけれど、ケヤキは大失敗

元禄16年6月14日。
夜、野方奉行山村庄右衛門が評定所の長屋板囲いの中へ詮議があるので入る。
国奉行で申し渡しがある。
代官などもここまで付き添って来る。
家の妻子は山村善兵衛と小舅広瀬文太夫に預けられる。
昨夜、野呂増左衛門がこれを承る。
勘定所の南、昨年彦坂主膳が入った通りに一晩中板囲いをする。
昨年五右衛門が目付だった際、山村甚兵衛の山に13間(1間は約1、8メートル)の大きなケヤキがあった。
奈良の大仏殿の棟木のためにこれを売り払った。
その後、大樹(将軍)から大きなケヤキを所望されるが無いと返事をしていた。
これらは庄右衛門が取り扱っていたと。
この度稲垣対馬守が巡見した際、この棟木を見つけ、どこの山から出たものかと尋ねた。
これは岐岨(阜)の山から出たものだと答えた。
そのため不審に思われた。
その際、目付なども庄右衛門と共謀したのだけれど、罪を1人にかぶせてこの如くとも。
また買物奉行の時の噂では、九条様に大いに取り入り、金子300両を京で差し上げたとも、あるいは局などと親しくなり、家の様子などを華あすこともあったと。
入輿の時は九条様の手を取り、歌など歌い、酒を供するほどに取り入っていたと。