名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

遠嶋とか追放とか、はたまた許されるとか大騒ぎ

宝永3年8月21日。
遠嶋・追放の輩が許されて召し返され、扶持・切米下される。
200俵ずつ、小出壱岐守、中根主税、飯田次郎右衛門。
10人扶持、笹山彦之丞。
50俵、高城六左衛門。
20俵ずつ、野村盛安、木村玄竹。
遠嶋 見分間違のため御徒目付北条平七郎、石黒久太夫
追放 平七子松次郎、九太夫子伝三郎・安治郎。
追放 岡野孫市家来3人・鳥山新八郎・安達伴右衛門・村松彦兵衛。
遠嶋 同人中間庄兵衛。
これは孫市のところで鶩(あひる)が食い合いをし、召仕が箒で分けると1羽が死んでしまった。
御徒目付が検視にやって来て言うには、1羽は病死のように見えるので病死で報告すると。
案文(控え)を出して帰り、この通りに報告した。
しかし、孫市の方からは箒で分けたときに1羽死んでしまったと言ってきた。
このため両方の言い分が一致しなかったので詮議を行うと、孫市が正しかったのでこの如く。
御徒目付衆から案文が来るからと報告をし直す。
ところが御徒目付からは案文は来ないとのことなので、案文を出すようにと言ったのに見つからないと言う。
その後、案文が出される。
役人にはあるまじきとこの如く。
遠嶋 北条左京家来幕伝兵衛・左京自分仕置家来7人。
追放 肴屋庄五郎 これは少し前、左京家来和久清兵衛と柳沢小左衛門が乗った船と御徒目付にとがめられ、清兵衛のをどり(踊り)子のことで詮議があった。