名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

これはマズいでしょう

元禄8年8月14日。
朝、曇。
徐々に晴れる。
文左衛門は未半時(午後2時)から悪寒がし、発熱する。
夜になると頭痛がし、2度吐く。
夜中にようやく寝ることができる。
瘧(おこり、熱病)。
寺社奉行が叱った10人衆萩原藤右衛門・小笠原勘助を厳しく叱った上に逼塞とする。
この両人は先々月の八幡祭礼(祇園祭)の時、若宮で神輿の出入りを警備してから帰った。
昨年は酒肴が種々出され、もてなしを受けて労われたが、今年は倹約のためなくなってしまっていた。
そのため両人は炎天下で退屈し、神主伯耆の座敷で熟睡してしまった。
五十人目付が2度やって来たがそれにも気づかなかった。
甚だ怠慢ということでこの如く。
毎年10人衆はふたりで神主の座敷で神輿が帰ってくるのを待って帰宅していた。