名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

どちらが真実

貞享2年9月中旬頃。
加藤源太左衛門厩の者が、御目付衆に東下馬のあたりで主人に甚だ打たれていると訴えると云々。
水野内蔵は小頭に命じて源太左に口書(供述書)を出させると云々。
源太左によるとこの者に不届きがあったので打っていると、いつの間にか逃げ出したと。
その上このような事件を引き起こすのは重ね重ね不届きであると。
口書など出せばこの者と争っているように見えてしまうが、そんなことは考えてもいないと。
源太左衛門の言うことは尤もと厩の者が追放となる。
源太左衛門が、馬の調教が良くないのを不審に思い密かに様子をさぐると、厩の者が鼻ねじ(馬をおとなしくさせるため鼻をねじる道具、棒がついている)でひどく馬を打っていたので、厩の物を打ったと。
半死半生だったので放置すると、密かに逃げ出すと。