名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

殿の屋敷なら拒むことはできない

元禄10年4月30日。
仲間相原久兵宅へ行き、冨永彦兵が言ったことを聞く。
その内容は、今後御本丸・御深井丸の番所では番人は袴を着て勤めるように。
そして夕暮れには解く(脱ぐ)ように。
これは最近の六郎左組の者の悪行によるもの。
六郎左組へは厳しく言い渡したと。
公の御下屋敷が大きくなり、手代御足軽が多く広井村へと移る。
本田(検地帳に記された田)であったので町人または諸士がこれを買い、代わりの新田を百姓に下される。
14日に御国奉行宅で申し渡される。