名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

若者よ、鍛錬しろ

元禄7年5月30日。
辰半時(午前8時)から文左衛門は拝謁に参上する。
お出ましはなかったので、巳の刻(午前9時)より町野助左のところへ出かけるが留守であった。
皆が言うには、助左のところへ行くことは拝謁のためでなく、行くことにわけがあるのではと。
玄関番が言うには、今年であろうと来年であろうと参上はすべきだと。
それではと今後は行かないことにする。
広井と山口の御目見衆の内、年長の者15人を虎の間に呼び、御国御用人を言い渡す。その目的は毎日拝謁に参上していては武芸の修練の時間がなくなってしまうから。
今後は京町通を境に北は巾下・建中寺前は山口に属する。
明日1日より10日まで拝謁に参上するように。
又、京町通より南高岳院前御下屋敷近辺は全て広井に属し、11日から20日まで10日ずつ交代で勤めるように。
もっとも諸事乱れぬようし、天王へも1度にどっと行かぬように。
2・3人ずつなら行ってもよい。
建中寺・鍋屋町下北側は山口に属し、南側は広井に属す。