名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

まあ小悪人ですな

元禄7年10月17日。
近頃、杉山作之右衛門が乱心といういことだが、どうやらそうではなかったらしい。
7、8月頃に作之右衛門は自分は御目付衆の隠し目付(見張り役)であると話していた。
朝倉忠兵衛などには金子20両が御扶持として下されたと。
他にもこのような話を延々としていた。
拝謁に参上してももったいぶっていたので皆初めは大いに遠慮していたが、後にはどうでもいい奴と笑う者が多かった。
あるいは、夜中に御用に出るなどと言って家を出ていたとも。
悪いことをしに出かけたのか。
乱心か。
そもそも多くの人に隠し目付と言い立てられ、上へ聞いても常日頃よく仕える者であったので、皆が信じていなかったのか、それとも御扶持方ででも取ろうとしていたためか。
よくよく聞くと、母親の金子をだまし取ろうとしていたと。
兄代右衛門・三右衛門も行いの良くない者であった。
代右衛門の鍔には花鳥風月が透かしがあった。
20匁ばかりのものであったが人に見せて言うには、金1枚と4、5両と香具師が値を付けたが売らなかったと。
また、ある者の印籠や巾着を借りて売り払うと。
伯父などは全員関係を断っていたと。