名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

これは惨めですね、干潮だったのでしょうか

元禄7年7月27日。文左衛門は相原荻右と南野へ鯐(すばしり・ボラの稚魚)打ちに出かける。荻右が、この先南野の弥次右衛門新田へ行けばたくさん鯐がいるはずと言うので行ってみる。ようやくたどり着くと、蒹(荻)や葭(葦)の下を水がわずかに流れるだ…

大変な仕事だ

元禄7年7月26日。薄曇。正午過ぎから晴れる。この日、様物がある。川口治部平がこれを切る。

7月25日の天気です

元禄7年7月25日。曇。未1点(午後1時過ぎ)から雨が降るが、申時(午後3時)に止む。酉半(午後6時)から晴れる。夕暮れ前から酉半(午後6時)までは大雨であった。

7月24日の天気です

元禄7年7月24日。曇。午8点(午後1時前)から雨が降り始め、申時(午後3時)に止む。酉半時(午後6時)より晴れる。夕暮れから酉半時(午後6時)前まで雨が激しく降る。

デマと群集心理は怖いなあ

元禄7年7月21日。晴天。未刻(午後1時)から雨が降るが、申刻(午後3時)には止む。申1点(午後3時過ぎ)、火事だと騒ぎがある。西の者は東へと走り、東の者は西へ行く。しかし、実際には火事はなかった。公は御下屋敷から大殿様を訪ねる。すぐにま…

無茶苦茶ではあるが、これが主従関係

元禄7年7月19日。この日、成瀬民部下屋敷が召し上げられる。明日巳の刻(午前9時)までに明け渡せとのことで、急いで家を壊し、畑を更地にする。無茶苦茶な話である。御下屋敷の敷地にかかるため。

7月18日の天気です

元禄7年7月18日。晴天。

これは大嵐だ、それでも御成りか

元禄7年7月17日。明け方前、大雨であったが、半時ばかりして止む。夜が明けて乾(北西)の方角に雲が流れ、風が吹き、雨が降る。正午から風が強く吹き始め、豪雨となる。未3点(午後2時前)には暴風となる。壊れたところが多く、所々で大木も折れる。…

7月16日の天気です

元禄7年7月16日。晴天。

地獄にいる鬼に施しを行い、この世の自分たちの極楽往生を願うのが施餓鬼

元禄7年7月15日。古渡黄檗派護国山東輪寺蒙山が初めて大施食(施餓鬼)を行う。これから恒例となる。

庶民の楽しみ、それは操り

元禄7年7月15日。この日から御器所村で大操りが行われる。太夫は竹本義太夫・ワキは同新太夫・同喜内。演目は蝉丸・伊豆日記・虎石・今川盛久・文武5人男・おさな物語など。

これこそ倹約だけど寂しい

元禄7年7月13日。この日から真福寺で操りが行われる。太夫は笹尾平太夫。夕方、文左衛門は町に出るが、昨年から賑わいもなく、提灯ばかりで飾りつけは稀だった。

これも倹約の影響でしょうか

元禄7年7月12日。惣打が行われる。文左衛門は鈴木左之右衛門・近藤杢之助と連れ立って辰刻(午前7時)過ぎに見物に出かける。帰って来ると日暮れであった。六郎左、御目付津田権之丞、五十人目付伴逸平治も見物していた。例年よりも見物が特に少なく、…

炎天下の見物も大変だ

元禄7年7月11日。燃えるような暑さ。矢田河原で惣打が行われる。今年初めて2日間行われる。文左衛門も巳の刻(午前9時)に相原荻右と連れ立って見物に出かけ、未半時(午後2時)に帰る。井野口六郎左衛門、御目付成瀬又平治、五十人目付押の者、柿羽…

7月10日の天気です

元禄7年7月10日。朝、曇。巳(午前9時)から晴れる。

殿も本当に大変だ

元禄7年7月9日。曇。正午前まで時々弱い雨が降る。文左衛門は2度拝謁に参上する。午5刻(午後0時)、公は大殿様もてなしのため訪れる。未半刻(午後2時)、公は三之丸を訪れる。その帰りにお礼のためまた大殿様を訪れる。申2刻(午後3時)過ぎにお…

7月8日の天気です

元禄7年7月8日。風が強く、所々で囲いが壊れる。夕暮れには風は止む。

ドレスコードは難しい

元禄7年7月7日。晴れているが風が吹く。文左衛門は白帷子上下を着て、拝謁に参上する。しかし、大方の者が袴羽織であったので肩衣を取る。御出ましはなし。昨年は上下とのこと。出仕もなかった。

7月6日の天気です

元禄7年7月6日。辰半時(午前8時)から夜明け前まで激しい雨が降る。

いやいやこれこそ細かく記してほしいなあ

元禄7年7月5日。内々の能が烏の間で催される。もちろん町人などは参上せず。この日、先日の刀の調査結果がわかる。

あの偽絵師が磔か

元禄7年7月4日。文左衛門は拝謁に参上する。公は辰8点(午前9時前)大殿様をお訪ねになり、巳2刻(午前9時過ぎ)お帰りになる。京粟田口で絵師永月が磔となる。札には尾州と書かず、古渡絵書永月と書いてある。これは御三家を憚ってのこと。

能も3日目

元禄7年7月3日。晴。この日も御能が催される。昨日まで拝謁しなかった町医者が残らず参上する。針立(鍼医)なども参上する。寺社はこの日残らず参上する。

傘を間違えられるのとは重みが違う

元禄7年7月2日。薄曇りまたは晴れる。巳半点(午前10時)、雨が少し降る。この日も能が催される。文左衛門も親と卯3点(午前6時半)に見物に出かける。公が御出ましの間は扇を使うのを遠慮する。人が群れ、汗が泉のごとく流れる。暑さが御殿にまで及…

能に招待されるのも大変なこと

元禄7年7月1日。暁前、曇っており、雷が数度鳴るがその後晴れ渡る。御能が催される。御直衆が見物する。辰半時(午前8時)に始まるが、未刻(午後1時)過ぎ、御白州に並ぶ町人らは日に照り付けられ、ほとんど気絶しそうなものが多かった。御能が行われ…

いろいろあった6月最終日

元禄7年6月30日。申の刻(午後3時)、少し雷が鳴る。この日、触状が来る一筆申し入れる。御入国の御祝儀として、来月2日に御能を催されるので同心衆は見物するようにお言いつけになる。6ツ半(午前7時)に登城するよう申し付ける。また、拝謁もある…

6月29日の天気です

元禄7年6月29日。未刻(午後1時)、少し雷が鳴る。

川名、川名、川名

元禄7年6月28日。公の御出ましはなし。申の刻(午後3時)、少し雷が鳴る。文左衛門は川名へ投網を打ちに行く。中嶋勘八・野呂瀬又右も一緒に行く。

6月27日の天気です

元禄7年6月27日。夕暮れ前、乾子(北北西)の方角に黒い雲がおこり、稲妻が光り、雷鳴が数度轟く。酉半刻(午後6時)より雨が降るが、その後止む。

本当に先代には気を遣っている

元禄7年6月25日。巳の1刻(午前9時過ぎ)、公は御下屋敷より帰られる。すぐに大殿様のところへ入られ、しばらくして御城に入られる。

また川名へご出勤

元禄7年6月26日。文左衛門は川名へ投網を打ちに行く。申刻(午後4時)、黒い雲が子(北)の方角に流れ、遠くで雷鳴が4、5度聞こえる。夜は晴れる。