名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

献上の馬と鷹は11日に大坂を出発しています

正徳1年9月15日。
成瀬・平田・寺町の3家は用務のため召し上げるとこの日言いつけられる。

馬5疋が夕暮れ前に通る。
馬上には大泉太兵衛でかなり先に通り、碓氷清左衛門が馬上で馬についてやって来る。
小串□馬装束などは華麗であった。
丸提灯には尾の字の紋が入り、伝馬町二町あたりの南で提灯を灯した。
朝鮮人3人がやって来る。
次官は乗物、中官はかけ馬に乗り、何れも笠をかぶっていた。
見物の者があふれる。
夜になって戸々5軒ごとに両町ではあんどん(行燈)を出す。
いずれも台に乗せ、寸法などは皆同じであった。
辻々では両側からあげ提灯を4つずつ灯した。
押の者はいたが、五十人目付はいなかった。

鷹は戌(午後7時)過ぎに12つり通る。
ただし1つりに2連ずつの合わせて24であった。
いずれも篭の中にいて見えなかった。
鷹には阿部喜左衛門などが附いていた。

阿弥陀寺での支度などいろいろ大変で混乱していた。
中でも沖野一郎右衛門は押の者と争いになった。
押者は杖で背を突いた。
一郎右衛門は押の者のあいさつなど無礼であると引き捕らえ、頭を強くはって身をよじらせた。
押者は急に鈴木安太夫に訴えた。
押の者の様子はとても気がはやっているようだったので、さすがは役人、よく我慢したと大いに褒めて宥めた。
一郎右衛門からこの件は用人衆へ報告したと云々。
最初に一郎右衛門などは支配の足軽の支度のことで押者と争いがあった。
その後足軽が出向くと引き籠めたと。
一郎右衛門が言うには用務のことでこの如くと。
あれこれと争いがあった。
杢左衛門という押の者は何事もなく済ませる。
律儀な押の者を一郎右衛門が気がはやってしまい頭をはりつけた。
一郎右衛門が酒に酔ってのこととも。

馬の中に病気の馬が1疋いるので、馬についてきた馬医が起で人参と熊の胆と婦人の月水(月経)とを買い求めた。
大泉太兵衛が口をはさみ、性高院で渡すと云々。
薬の調合や馬に用いる品を見ると詰め寄った。
馬医は初めからだまして金を取るための言ったことだったので、これを見透かされてもう馬は治ったので薬を用いる必要はないと止めることにした。