名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

霊仙院の逝去による措置なのかな

元禄11年12月29日。
廻状がある。
切紙で申し入れる。
来年初めの御礼はないはずであるので、御越年の御機嫌を伺うため元旦の朝5ツ半(午前9時)頃に各登城するように。
以上。
さらにこのことは支配の衆へも申し渡すように。
衣服は熨斗目、半上下を着用するように。
また相互の年礼も先送りするように。
このことは同心衆御足軽にいたるまで申し聞かせるように。
以上。
12月29日。
都筑弥兵衛。
両城代衆。
彦兵からやってきた切紙には、元旦の東西銕門の足軽の人数はいつもの月の出仕日と同じで、6ツ(午前6時)過ぎに出仕のはずである。
御番の足軽は3日の内は、紬の衣服、麻上下着用するよう御目付衆からの言いつけである。