名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

そうか人数が多いから1日では終わらないのか

元禄8年1月2日。
雨が降るが、巳の刻(午前9時)に止み、晴れる。
文左衛門は7ツ半(午前5時)に近所の者たち共に礼に出かけるが、少し時間が早かったので源右衛門のところへ寄る。
6ツ(午前6時)前、三左衛門殿と対面し、ただちに御城に参上する。
巳刻(午前9時)に公がお出ましになり、巳9刻(午前11時前)御土器(杯)を頂く。
終わりは昨日と同様。
鈴木丹後守組が銚子の側で転倒しうろたえたと。
誰かは名前を聞かず。
昨今の御礼で、南の方の庇で頭を打つ者が多く、或いは血を流したともいう。
触状の写しが昨日回ってくる。
その略をここに記す。
2日は、同心衆ならびに明同心衆は御礼に6ツ(午前6時)過ぎに出るように申し渡す。
元旦・2日両日の鳥目(銭)での御礼の輩は参上に際して御礼の座の書付を確認し、御礼をその場所に置き、それぞれ座付の指示に従うように。
かつまた3日の明け方、御歌初には暮6つ(午後6時)前に登城するように。
12月28日、堀治部右衛門。