名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

あっという間に縁談を決められるとは、さすが最高権力者

元禄11年3月22日。
廻状がある。
切紙を以って啓達する。
去る18日天気も良く、麹町の御屋敷へ公方様が巳上刻(午前9時)に御成あそばされ、大殿様・姫君様・右兵衛督様も御屋敷に入られ、摂津守様・出雲守様・求馬様・但馬守様、次に御三家様方・御縁者衆が御越しとなり、全てを御規式(作法)などの通り残すところなく首尾よく済まし、申の刻(午後3時)に御帰り遊ばれる。
かつ又、殿様に御姫様あるのを聞かれ、この御姫様とすぐにご対面することとなり、お会いになると公方様の養子する旨命令される。
いずれにしても殿様はそれを大変喜ばれ、上々様もご満悦と思われた。
この御姫様は喜知姫様と申す。
このことを御家中の輩へ知らせるようにと江戸から申してきたので、支配の衆へ申し聞かせるように。
以上。
3月22日。
都筑弥兵衛。
冨永内左衛門。
両城代衆。

会ってすぐに養子にするとは、さすが最高権力者。