名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

これは大失態

元禄8年2月11日。
朝、雪・霰(あられ)・雨が降る。
卯半時(午前6時)過ぎると止む。
巳半点(午前10時)から晴れる。
戌2刻(午後7時過ぎ)、火事だと騒ぎがある。
文左衛門は上の辻番まで出かけるが、嘘とのことで帰る。
先月、桂松(昌か)院様(綱吉の生母)御名代大友近江守が熱田を参詣する。
この際大殿様より御供番米倉分蔵が共に御使いとして熱田へ出向く。
しかし、日が暮れても近江守はやって来なかった。
夜になって分蔵は帰ろうと宿などで問い合わせるが、何も返事がなかった。
夜が更けてまた宿に問い合わせると、全員寝てしまったと言われた。
それなら分蔵はもう帰ろうと右衛門作に言うと、右衛門作は交替を待って帰るつもりなので、お前もそうしないかと言った。
しかし分蔵は大殿様の勤めは1日限りだと言って帰ってしまった。
その晩近江守が着くが、大殿様の御使は間に合わなかった。
このことを分蔵が渡辺十左へ知らせた。
十左はこのような不注意はあってはならないとこの朝分蔵を渡辺十左の家へ呼び、御目付梶田新助御供番戸田孫兵衛が申し渡し、分蔵改易を言い渡された。
江戸・水戸・紀伊・山城への出入りは禁じられた。