名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

病気がちなのに強い女房

貞享4年8月18日。岩間一郎平が召仕を手討ちにし損ねる。召仕は法花寺町通から鍛治屋町の下寺嶋源右衛門前へと駆け出す。その竹垣辺りに倒れているところを一郎平がやって来てとどめをさすのでそれまで。初めは合羽の上から背を切りつけるが切れず、片腹…

これは世紀の大発見

貞享4年8月。近頃、濃州斎藤村の斎藤寺住持不立が所から追放となったが、公儀へ訴え出てやって来ると云々。斎藤寺の前住は、明智光秀の弟であった。光秀が山崎の合戦で死んだというのは偽りであり、後に斎藤村の百姓を装い、その子は荒福又五郎という者で…

子どもの不祥事で改易とは

貞享4年8月12日。御矢師左平次が改易となる。これは倅定助の事件を調べたため。

見たくないだろ

貞享4年7月中旬から。鍛冶屋町大津町下で磔打。

また僧の不祥事

貞享4年7月24日。養林寺末寺証正寺が住職を解かれ、他国で隠居となる。

恨みでもあったのか

貞享4年7月16日。明け方寅の刻(午前3時)頃、広小路柳の薬師院前で御矢師左平次の子早崎藤蔵を絵師円成の子幡野定助が切り殺し立ち去る。

今なら漁業権の侵害か

貞享4年7月6日。(竹腰)龍助が味鋺で魚を獲っていると、児嶋丹左衛門が下流から小屋前へと中間2人に引かれて船でやって来る。この年は丹左衛門はこのあたりを受けもっていたので、無礼などがあったと後に竹腰紋太夫は謝る。勝川の渡り瀬から網を流す供…

餅は餅屋で、鮫は鮫釣り

貞享4年6月24日。熱田沖で鮫が漁師を食い殺す。このため横井作右衛門配下の者どもが鮫を捕まえようと毎日14、5艘船を出すが、捕まえることができず。その後、また人を襲ったので、答志嶋の鮫釣り4人を1日10匁ずつで雇う。他にも鮫を釣るごとに褒…

おおー、ぼろ儲け

貞享4年6月17日。3両で岩植木(盆栽?)を買った町人から、石だけを二百石目付で後に足軽頭となる津田元右衛門跡取りが3両、小山市兵衛や1両2分ずつ出し合って買い取る。市兵衛が引き取った石は少し欠けてまばゆく光っていたので京へ遣わし、緒〆(…

天罰

貞享4年6月17日。夜、矢田の辺りで盗人を袋叩きにして半殺しにする。盗人は18日・19日の2日で白壁町辺りを1歩ずつ進みながら、所々で倒れる。しかし、ついには頭の傷で死んでしまうと。

枯れたのと雷の関係は

貞享4年6月12日。未下刻(午後3時)、雷が轟く。二の丸で舞台の松が枯れる。

親類も困るだろう

貞享4年6月11日。坪井庄八が打ち首になり、死体は親類へ下される。

弁当医者って何

貞享4年6月9日。天王前とも(竹腰)龍助裏門前とも言うが、留永内左衛門厩の者、中川庄蔵召仕が女の髪を切って捨て置く。弁当医者が通りがかり、これを拾って立ち去る。何事もなかった事で済ませる。

ベテラン刑事のような誘導尋問

貞享4年6月4日。今井左次右衛門が加藤市右衛門のところに見回りに来るが、甥の坊主が見当たらず。話し聞いたところでは、近頃妙興寺村入口小橋の際にござを敷き、黙り込んでいる者がいた。百姓らが色々と問いかけるもどこから来たとも話さないので薬師堂…

どこへ行ってしまった

貞享4年5月22日。この夜から彦右衛門兄で伊兵衛伯父の五十人加藤市右衛門のところに押し込め置いた乱心の甥坊主が見当たらなくなる。それで方々尋ねると云々。

殺人事件発生、犯人逃走中

貞享4年5月14日。大津町西側に住む近江守同心南条杢左衛門屋敷で、草履取りが召仕の中間を切り殺して立ち去る。

樹木の病気

貞享4年4月初め頃。比良の社にある椿の木に人の手のような餅がなるとのことで見物する者がある。薄よもぎの餅のようで人の手というより、色からすると猿の手に似ている。相応寺筋の侍屋敷の榎にはうどんが生えたとのこと。いずれも湿気による木の病であっ…

こちらはあっけない書き方

貞享4年4月13日。朝岡半入三男喜左衛門が乱心。

惨殺

貞享4年4月13日。出来町の坪井庄八が乱心。近江守家来野々村喜蔵の娘で新左衛門の姉である女房、野々村の息子で娘と庄八のところに住んでいた村田角兵衛を切り殺す。召仕の女にも傷を負わす。庄八は捕らえられて牢に入る。庄八の父親は隠斎という者で、…

赤犬ってスパイですかね、それともただの犬

貞享4年4月10日、飯田町で赤犬が死ぬ。町奉行へ届けると足軽ふたりが調べにやって来ると云々。その夜、養念寺でこれを弔う。

ストリーキングってのが昔流行りました

貞享4年4月6日。初めの名は赤紙源助、その後神保佐助と名乗った松岡伝助の召仕が裸で蔵王辺りを徘徊し、その後も所々を走り回る。少し乱心のようにも見えたので伝助は暇を出して請人に引き渡したところ、夜中に又兵衛のところに現れる。門が開かなかった…

職がある方がましだと思うのだけれど

貞享4年3月上旬。大津町に住む近江守組神保左助が暇を下される。尾張の領分からは追放とのこと。佐助は竹腰様の先代より度々援助を受けていたが、どうにも生計を立てるのが苦しくなり、暇を願い出たことによる。

厳しい処罰だ、洒落ではすまされない

貞享4年3月。少し前より張文、落書をしていた上畑の夜番が捕らえられ牢に入る。8月10日頃には追放となる。

神は見放した

貞享4年3月11日。夜、西志賀村百姓の家2軒が焼けてしまう。この2軒は兄弟の家であった。伊勢神宮参宮へ向かう夜の出来事であった。

夜中の火事は恐ろしい

貞享4年3月11日。日の出前の寅の刻(午前3時)少し過ぎ、菓子屋又兵衛から火が出る。借家絵屋三郎左衛門、花井勘右衛門借家山田屋長左衛門の隣に会所への道があり、唐木屋市右衛門らの本家3軒が焼けてしまう。

ギャンブルは大罪

貞享4年3月1日。長久寺の弟子如説と恵俊が寺社奉行所へ呼び出される。如説は尾張・武蔵・山城を出入り禁止の追放。恵俊は牢屋に入る。原因は博打。

盗みぐらいでこの処罰

貞享4年2月27日。石川藤太夫若党が木綿を盗むと。六郎様の下目付寺方より金を借りた者と共に胴は様物となり、首は獄門となる。

死体となっても処罰は生き続ける

貞享4年2月12日。山中伊太夫が伯父山中太右衛門のところへやって来て自殺する。書置きがあり、太右衛門より届けられる。14日まで死体は取り置く。旦那寺政秀寺から寺社奉行へ報告すると置いておくなと。13ヶ国改易になるにもかかわらず城下へ立ち返…

何がふたりの間にあったのか

貞享4年2月7日。晩、納屋中橋通の裏で大道寺玄蕃小姓と中小姓が喧嘩をする。その時はふたりとも死ぬことはなし。玄蕃殿屋敷へ引き取って置いておく。しかし、ふたりは翌朝と翌晩に死んでしまう。

接待で骨抜きか

貞享4年1月30日。(竹腰)龍助新屋敷へ御目付若林四郎兵衛と御供番永田清左衛門がやって来て、龍助とも会う。本条林右衛門への書付の内容を永田が読み聞かせる。人切八左衛門孫、八右衛門甥の宇津木八左衛門へは龍助年寄と広井組の組目付月番が書付を読…