名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-06-13から1日間の記事一覧

困った僧も多いなあ

貞享4年8月25日。西光院の塔頭千昌院で師弟とも退院(寺からの退去)となる。日頃から身持ちがよくないと。

これはショック

貞享4年8月25日。雨が降り、翌日には大雨となる。庄内川筋は洪水となる。小曽戸半六若党女房は矢田川で水に流され死んでしまう。この洪水で野々垣源兵衛手代が巡視に出ると、流木を盗む者がいたので鉄砲で頭を撃つ。松明で見ると舅であったと。

今の考えなら横暴な上司

貞享4年8月中旬。川口六左衛門子半右衛門が召仕を手討ちにする。

請人なら最後まで面倒をみるべき

貞享4年8月中旬。小見山九右衛門の取立者とこの春から召し抱えた若党が喧嘩する。若党が取立者を切り殺し立ち去る。巾下薬師近くの堀に長持ちがひとつあり、中には月代(額から頭の中央まで剃ったこと)の体、外には筵1、2枚、屏風1双、障子2枚があっ…

病気がちなのに強い女房

貞享4年8月18日。岩間一郎平が召仕を手討ちにし損ねる。召仕は法花寺町通から鍛治屋町の下寺嶋源右衛門前へと駆け出す。その竹垣辺りに倒れているところを一郎平がやって来てとどめをさすのでそれまで。初めは合羽の上から背を切りつけるが切れず、片腹…

これは世紀の大発見

貞享4年8月。近頃、濃州斎藤村の斎藤寺住持不立が所から追放となったが、公儀へ訴え出てやって来ると云々。斎藤寺の前住は、明智光秀の弟であった。光秀が山崎の合戦で死んだというのは偽りであり、後に斎藤村の百姓を装い、その子は荒福又五郎という者で…

子どもの不祥事で改易とは

貞享4年8月12日。御矢師左平次が改易となる。これは倅定助の事件を調べたため。