名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

獲った魚を売りさばいていただと

元禄15年閏8月26日。
廻文がある。
目付近藤小太夫が添えた切紙は略す。
家中の諸士が船で熱田沖へ出ること、ならびに殺生(漁)することは制法(定められた法)がないことではあるが、近頃では酒を飲みながら鳴物で騒いだり、作法が良くない者もあると聞いている。
今後は船で出ても慎み、沖で殺生といっても魚を商うことはかねてからの言いつけを守り、このことを召仕に至るまで堅く申し付けること。
言いつけは以上。
午閏8月。
夜、石川平四が来て話をする。
江戸で松平主計頭組稲主税が逼塞となる。
小普請佐脇次郎左衛門・同新太郎は斬罪となる。
中村屋平左衛門は獄門となる。
この佐脇は平左衛門という町人から昨年白紙の手形で金を借り、返すのが滞っていた。
この度ますます難しくなってしまった。
大変な高利な上、頭の偽判に同意も取っていなかった。
町人も白紙のため適当に文言を書き入れたと。
白紙手形には借り主の判だけを押して遣わし、文言は貸し主の好きに書いてよいと。