名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

忠臣なのか逆臣なのか

宝永2年6月19日。
近頃、岩間甚左衛門後家と出入りの座頭が関係を持つ。
これが露見したので湯殿で互いに死のうとするが、外から見つけてこれを止める。
少しずつ両方傷いたと。
戌(午後7時)過ぎ、久屋町・杉の町西側の山村与左衛門、寄合千村伊左衛門弟の召仕中間が表借屋で庄之助13歳と同僚の若党を切り殺し、逐電する。
庄之助親は嶋沢代右衛門の家来で、当時は江戸にいた。
出発の際与左衛門中間に庄之助の髪などを結うように頼んでおいた。
この度鍛冶屋町で手習いを教える長原友左衛門の取りなしで庄之助は定光寺の小姓となり、近日行くはずであった。
この夕、庄之助の母は祝いだと若党と中間を呼び酒などを出していた。
その席で中間は以前この子を親から預かっていたので、江戸から親が戻るまでは定光寺に遣わすことは必要ないと言った。
若党はお前はここに及んでそんな屁理屈を言うのかと。
とにかく庄之助のためになるようにするべきなどと話し合うも、帰ると言って草履を履いた時、若党を切り、返す脇差で庄之助も切る。
母は驚き近づくと、これも傷を負わせて立ち退く。