名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧

宝永2年6月の天気です

宝永2年6月1日。雨が降り、ジメジメする。時に雨が弱まる。夜には止む。枇杷嶋の水は4合1勺。宝永2年6月2日。曇。巳(午前9時)前から晴れるが、時々曇る。夜、曇り、時々雨が降る。宝永2年6月3日。晴。巳(午前9時)前後、少し曇る。少し雨が…

やはり規模が違う

宝永2年5月29日。泰心院様の法事が始まる。一昨日に廻文が2通ある。法事のことと物静かにするようにと。辰刻(午前7時)に始まる。名代は志水甲斐守。出僧は172人、他に行者が1人。下行、布施、入仏事など。壬午と同じなので略す。(後略)

今の熊の出没のようだな

宝永2年5月26日。近頃、熱田亀井道場に妖物が現れる。屋根の上を通り、かなり揺れたが、被害ないと。大きな犬を食い殺したと。

法事があれば恩赦です

宝永2年5月23日。行赦が2人あり、立ち返った者たち。

浅野家に嫁がれた姫

宝永2年5月22日。この日から相応寺において馨香院(光友三女)様の23回忌の法事が行われる。出僧は40人。(後略)

屋根は大丈夫

宝永2年5月21日。松平薩摩守息女が近衛大納言に嫁がれるため熱田に泊られ、京へ向かわれる。江州土山代官の屋根の上に千度祓の大麻箱が降る。

太平の世だから勤められのかも

宝永2年5月18日。屋敷奉行手代本締井上藤右衛門は36年つつがなく勤め、その上本締帳役を勤めることがお耳に入り、褒美として銀子2枚が下される。

長屋だから何人も焼け出されたはず

宝永2年5月17日。亥半刻(午後10時)、渥美源兵衛の長屋が焼失する。馬廻小頭で三つ蔵筋西側に住む。

本当に日本は昔から自殺が多い

宝永2年5月16日。未(午後1時)過ぎ、近江守組鈴木左近右衛門が乱心して自殺する。200石鍛冶屋町下、広小路から南西側。

やはり生きられないか

宝永2年5月13日。近頃、大久保屋敷、出雲守(松平義昌)様の隣、川内伝次郎書物奉行の猫が子を産む。頭が2つで眼は3つ、足は6本で尾は2本の灰色の毛。生まれるとすぐに死んでしまう。

冷静な殺人犯

宝永2年5月12日。巳半刻(午前10時)、五十人目付山崎源兵衛・平岩弥五左衛門がやって来て、小野右衛門の死骸を検視する。その後、内膳家来がやって来て死骸を見る。内膳のところの者であったので、他へは見せるなと言う。その後、内膳から礼使として冨…

何でもべらべらしゃべると目を付けられる

宝永2年5月11日。夕暮れ過ぎ、加藤権四郎門外の東寄りで歩行の者らしき男が切られて殺されていた。文左衛門はすぐに出かけて、この死体を見る。左の耳を切り、首から袈裟に胸の骨まで切りつけてあった。後ろの左肩はとても深い疵であったと。この疵は後…

後悔しても仕方ない

宝永2年5月10日。米13石を理左衛門に売払う。1両で1石1升。今年春に売払っていれば1両で8斗ぐらいであった。

人の迷惑を考えたら

宝永2年5月9日。辰(午前7時)過ぎから文左衛門は源太左・瀬左・友弥・加兵・曽右とともに松軒屋敷へ出かけ、石曳きを見物する。それからいかつ(伊勝)山宗寿のところへ道中酒や食事をとりながら出かける。宗寿は外出中だったが、飯などを炊かせて休憩…

また趣味の釣りですか

宝永2年5月6日。巳半(午前10時)過ぎから文左衛門は源左と味鏡(鋺)へ出かける。酒などを給わり、はへ(鮠か?)を30ばかり釣る。夕暮れに帰る。

女房の話が本当なら知能犯

宝永2年5月5日。昼頃、巾下米屋平七のところへ酒手代1人がやって来たので酒を出してもてなす。しばらくすると巾下の医者青木伯元がやって来て手代と仲良くなり、一緒に酒を飲む。伯元は盃を手代に渡すが、手代はこれを断るとはなはだ無理強いをする。ま…

笑い話のような話です

宝永2年5月2日。近頃、名古屋松屋町ふと物屋(服屋)の甥が隣の子を連れてきて、参宮するから金2分を貸してくれと言った。相手にせずに叱りつけると子どもは立腹し、それならば損をさせてやると持った柄杓で溝の泥をすくい、木綿棚へとかけた。そうこう…

宝永2年5月の天気です

宝永2年5月1日。曇。巳(午前9時)過ぎから薄曇り。時に日の光が差す。宝永2年5月2日。晴。宝永2年5月6日。未(午後1時)前後、少し雨が降って止む。宝永2年5月7日。曇。宝永2年5月8日。晴。宝永2年5月10日。曇。時に少し雨が降る。宝…

自殺未遂の次兵衛さん

宝永2年閏4月29日。並河次兵衛については加藤三十郎に預ける。来月2日、次兵衛屋敷は差し上げる。養子の廻文がある。

真実は如何に

宝永2年閏4月26日。亥(午後9時)前、巾下押切町福泉院という山伏が近所の畳屋召仕の女を袈裟懸けに切る。女は翌朝死んでしまう。近頃、巾下に妖物が出るとの噂があった。妖物の噂があったので様子をうかがっていると女が白帷子を着てやって来た。再三…

カッとしやすい性格だな

宝永2年閏4月24日。昼前、袋町・長者町と長嶋町間の町屋から火が出る。すぐに消し止める。野崎源五右衛門家老(おとな)の何の六郎右衛門という者の町屋であった。借屋木引五兵衛の娘17歳が同じ借家の襦袢を盗んだとからかわれた。娘はこれを恥じ、怒…

酒に酔って殺されるとは

宝永2年閏4月22日。野呂増左衛門が尾張を発つ。近頃、岩之丞様草履取が四つ谷堀端で自害する。近頃、永井金左衛門若党が酒に酔って暴れたので向いの屋敷で成敗する。

妥当な順位ですか

宝永2年閏4月23日。熱田神宮寺内不動院、愛染院が色衣着用を許される。これは護持院からの免許による。この日仰せ渡される。礼は官僧(官位を授けられた僧侶)の次、平僧の上へ。 以前から佐分伊左衛門出雲守様用人は不埒な行いが数々ある。高屋善之丞稲…

灰取場で火事って不思議、灰って燃やさないとできないはず

宝永2年閏4月18日。夜、灰取場で少し火事がある。

なぜ自殺しようとしたのだろう

宝永2年閏4月15日。申(午後3時)頃、35歳400石馬廻並河次兵衛は僕1人を連れ、加藤三十郎のところへ行くといって出かける。まずは旦那寺守綱寺へ出かける。召仕は大須へ行くようにと先にやり、その後、墓所で小刀で肘と腹を少々切るが切り損ね、…

これが入札ってやつですか

宝永2年閏4月13日。巳(午前9時)から文左衛門は曽右・瀬左と松軒の屋敷へ出かける。瀬左は作(佐久)の石を買い求める。高さは1丈(約3メートル)あまり、幅は広いところで4尺(1尺は約30センチ)。代金は2両、届賃は1分。帰りに瀬左に寄り、…

10日も準備期間があれば大丈夫だろう

宝永2年閏4月12日。野呂増左衛門が10日の準備で、22日に江戸へ発つように仰せ付けられる。大工善治郎、源介、与左衛門の3人、町からの大工30人を召し連れると。霊仙院様霊屋が焼失したため。

これも被害はなさそうです

宝永2年閏4月9日。申(午後3時)過ぎ、数度地震がある。

清左衛門、作右衛門に惣左衛門はいかなる関係

宝永2年閏4月5日。亥半(午後10時)、伝馬町石臼屋裏の薪部屋から火が出るが消し止める。外へは燃え移らなかった。清左衛門は逼塞する。武井作右衛門がここに行って五十人目付市野辺惣左衛門をとがめる。

病気なら仕方がないか

宝永2年閏4月4日。酉半(午後6時)、光物が乾(北西)から巽(南東)へ飛んで行き、落ちそうになりながらまた東へ飛んでいく。とても低いところを飛ぶと。隼人正組小川作左衛門は眼の調子がとても悪いと願い出て、この日10人扶持となる屋敷は差し上げ…