名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

案外気が弱い

宝永6年3月7日。
両小頭から先日の三九郎・ほらを今年から宗門から除くことを新左衛門殿に話が通り、その上七右に先日の書付を遣わし、宗門から除くことが了承されたとの手紙が来る。

戸田五郎兵衛手代の富田庄蔵が自殺する。
上松奉行の手代で大久保見町に住んでいた。
妻が近所(ムカヒ)の桧物屋と関係を持たれ、ひとりで鬱々とし、母に話をしてこの如く。
妻は死ぬ前に舅のところへ遣わしていた。
これを聞いて翌8日桧物屋はたまらなくなり、常題目本立寺の母の墓の前で自害した。2人とも乱心ということにしておく。