2024-04-21 これも理由が不明か 鸚鵡籠中記 宝永6年2月29日。夜丑刻(午前1時)、小見山大助に厄介になっている従弟宮崎半六が、夜咄からの帰りに富田文左衛門を数ヶ所切って立ち退く。源右衛門の辻には血があった。そこから高岳院より大津町あたりには血の跡があった。半六も傷を負ったようであった。松本加兵衛と親類のため、そこへ立ち退いたと。文左衛門は大助の母の弟で浪人であった。これも大助に厄介になっていた。文左衛門は死ななかった。