正徳3年9月8日。
六十七日法事・施餓鬼が巳刻(午前9時)に始まる。
名代肥前殿が終わり、梅昌院様(徳川綱誠側室)が参詣し、入仏事が行われる。
何れも退出の後、本堂でひそかに左衛門殿より施餓鬼が行われる。
僧たちには内緒だから話すなと云々。
明日朝は重陽の祝儀ではなく、家督の祝儀として袴で頭へ出向くようにとの小頭からの廻文がある。
隼人正・飛騨守同心衆は麻上下で9日に家督の祝儀に出向く。
長良村の免は去年より5厘高で申し付ける。
日蓮宗法花寺町浄蓮寺は御側坊主誰やらの兄であった。
やがて30石の寺領が貰えるはずであった。
浄土宗南寺町法花寺は三輪七左衛門の弟であった。
隆正寺は守崎の菩提所であった。
高岳院の東遍照院は左衛門殿の旦那寺であったが、この度の逝去で何れも大いに力を落とした。
隆正寺は去年からとりわけ大きな普請を行い、その意匠は比べるものもなかった。
これは去年文甫を呼び寄せた時、来年名古屋へ来た際には必ず訪ねて寺領を付けてやるとの約束があったと云々。