名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

この後徳川継友が岐阜を訪問するのでその下調べ

享保2年8月23日。
文左衛門は子半(午前0時)に家を出発する。
巾下の一里塚で待ち合わせる。
弥左衛門・喜平次・市兵衛がやって来て、しばらくすると藤左衛門もやって来る。
雨が晴れて月が東の山から登り、星が輝き、道の状態も殊の外良い。
清須で汁椀で1つ、中椀で1つ酒を頂く。
2斗樽を持参する。
その他飯・煮物・てんぶ(天ぷら?)を持たせる。
八平槍持・新七若党・喜三郎合羽篭・円介草履取。
六角堂から折津まで30町(1町は約100メートル)ばかり。
折津から一の宮まで1里半(1里は約4キロ)。
一の宮が見えると夜が明け、快晴となる。
一の宮で酒・食事を心地よく頂く。
酒を汁椀で1つ、中椀で2つ頂く。
ここで喜平治が2升樽をくれる。
一宮から黒田へ1里。
黒田から笠松へ1里。
笠松の渡しは水面は3、4町ほど。
右に円城寺が見える。
笠松から加納へ1里半ばかり。
笠松から岐阜山が見える。
周りの山よりも高い。
加納の城が左の方に見える。
天守は3重である。
加納の町は少しの間で、5、6町で岐阜へ入る。
岐阜の町並みは長い。
町の道の真ん中に古い大榎がある。
地上7、8尺(1尺は約30センチ)下は空洞である。
宿となる勘右衛門へ入り、畳を見分し、それから勘右衛門の指図でうつぼ町(靭屋町)質屋金右衛門のところへ入る。
加島と号し、勘右衛門とは関係があり、家名は箱屋という。
25歳で酒好きである。
ここへ入る前に岐阜奉行武尾茂右衛門の役所へ出かけて会う。
先だって城山の見物のことを小川六太に頼んであり、知らせがあり次第案内を遣わすと云々。
宿で湯漬けを頂く。
足軽大野孫兵衛をともに山へ登る。
2升樽・焼鮎・てんぶ・茶びんを持たせる。
麓に寺が2つあり、右は妙性寺(日蓮宗)・左は常在寺。
妙性寺の門を入ると大きな山が目の前にそびえ立つ。
険しい山並みが続き、素晴らしい景色。
城山の麓に山に用のない者は登らないようにとの制札がある。
七曲から登る。
天守の台まで17町あると。
4、5町登り、酒を1つ頂く。
景色の素晴らしさは筆にできないほど。
南の方には柏原彦右衛門の砦が3ヶ所ある。
南の方には藤右衛門洞というところもある。
十六峠、無藤助十郎の居所である無藤峠、鷹の巣山の下の東の方にはだちぼく(伝は先に記す)扣へがある。
臼井眼入の子が今は所有する。
百曲り・追分・塩硝蔵の跡。
それから石垣のある一の門・太鼓門とも大下馬とも。
玄次馬場と30間(1間は約1、8メートル)あまりの平な場所がある。
その次に石垣のある二の門、その次の下は台所と。
東の方を鷹の巣山といい、鷹が巣をつくる山と。
天守台は6間に8間ほど。
あるいは7間四方で石垣があると。
ここは山の頂上で、ここからの景色はなかなか筆で表しがたい。
もっとも麓から4、5町上れば徐々に景色が見えてくるけれど、頂上の景色はまた格別なものである。
北、水の手の方には長良川が流れ、3つに分かれ、また下流でまた1つになる。
南の方、はるか遠くには海面が見える。
木曽川は目の前にある。
加納は見渡せ、岐阜の町はまるで掌の上で思いのままにできるよう。
右の手前が大桑町筋、その次が中島筋、その次が本町筋と、これは少し乾(北西)寄りの西東の町。
北南の町には東材木町筋、西材木町筋、今町筋。
乾に斎藤道三の居城があった鷺山が見える。
その次は桑山と、前の加納の丹波守の菩提である。
その西の方には揖斐将監屋敷の跡が見える。
名古屋の天守は巳(南南東)の方角で、犬山は未(南南西、?方角があわない)の方角。
大垣は未申(南西)の方角。
桑名は未(南南西)の方角。
北は真福寺ふる津(古津)まで見える。
石河靭負殿の知行所である。
板取は真北。
雪吹(伊吹)山は真西。
艮(北東)にかうづち(上有知)・洲原山。
頂上ではこの度の訪問のため掃除を行う足軽石崎九助・園部分四郎2人に会う。
いろいろと尋ねて筆で記す。
酒を出て文左衛門も1つ頂く。
その他手代などより以下の者が盛んに飲む。
天守の台から下に井戸が4つある。
東に1つ、西に3つある。
その内2つには水もある。
いずれも岩を切り抜いた井戸である。

下りは百曲りから下る。
ここは特に険しく、岩を切って道を通す。
麓まで14町ある。
北の方はとても険しく、木が茂り、谷は深く、一丈・二丈・尼ケ坂・坊ケ坂などの地名がある。
天守台下北の方から上がる。
ここは険しく、くらかえ(鞍掛)という。
麓から少し北の上にとても美しい曲がった大松がある。
瑞竜公(徳川光友)が手平松と名付け、昔は好事家がこの下までやって来て短尺(短冊)などを付けると云々。
麓から北へ行く。
右の方を見上げるとひの木谷・けやき(槻)谷の入口である。
左に千畳敷
また丸山というところがある。
巨岩が巧みで、瀑泉(滝)が流れ落ちる。
夕暮れ前に宿へ戻る。
夕飯は膾・焼鮎・大きなしいたけと山芋の煮物、鮎を2つ頂く。
酒の肴に鮎の寿司を3つほど頂く。
うなぎ蒲焼。
酒を3杯頂く。
勘右衛門から鵜飼を見せるからとと月行事のせはやき(世話焼、世話人)2人が来たが、前から稲垣甚右衛門手代大脇三左衛門と約束があったので、三左衛門のところへ出かける。
舟が2艘、毛氈を敷いて川上3里へ鵜船を上らせ、下る。
初めは月が出ているよう。
また既に篝も見える。
その様子は言い表しがたい。
6艘で12ずつ扱い、乱火という。
2尺四方ほどの底がしぼんだ金あんどんのような物の中へ松を投げ入れ、篝を焼く。
舟漕2人、その他1人か2人乗るが、鵜遣いには手伝わず。
その後眼前までやって来て扱う。
右の方には甚右が任される役所があったのでここへ入る。
庄屋惣三郎もここにいる。
今獲った鮎を膾にし、酒を2杯頂く。
鵜舟御役はここまでで、その後は川下遠くへ行ってしまい、深夜まで遣える。
自分のもふけ(儲け?)となる。
戌(午後7時)過ぎに帰り、行水し、冷麪(むぎこ)を2皿頂き、休む。
この日昼前に岐阜へ到着し、昼過ぎには曇りそうだったが、やがて快晴となり、夜は爽快な天気となる。
寅(午前3時)頃に起きたのでそれほど眠らず。

朝飯は水あヘのするめ、その他昨夜とほとんど同じ。
ただし、大鮎焼はおいしい。
寿司も1つほど頂く。
飯は2つ半、酒は4つ頂く。
朝は痞え(胸のふさがり)、二日酔いなのか厠へ行き、かなり吐く。
茶代として文左衛門も召仕も1人300文で、11人だと1両1分を置く。
この日はとても気持ちの良い天気。
辰(午前7時)頃出発し、町で水を2つ頂く。
黒田の郷は広く、町も少ない。
茶を頂く。
一宮で茶漬けを食べ、酒を中椀で2つ頂く。
惣社(真清田神社)を拝む。
大門の額は真清田大明神。
一宮と折津の間、右側の松並木が1本、雷でも落ちたのか焼け焦げ、枯れている。
申(午後1時)頃、清須で酒を2つ頂く。
茶漬け1つ半を頂く。
静かにあちこちで休憩し、榎町で日が暮れる。
酉(午後5時)過ぎに帰宅する。
足には2、3ヶ所まめなどができる。
夜食は食べずに休む。
左足の痛み・悪寒が2、3度する。
ひと眠りすると良くなる。
岐阜の酒はおいしい。
片白(蒸米は精米、麹は玄米を使った酒)は1升8合で200文。
生諸白(蒸米、麹とも精米を使った酒)は1升9号で304文。
焼鮎は5つで124文。

立木眼入(止心流開祖)は岐阜の山廻り(山役人)である。
腰(ママ)の廻りを指南し、名古屋にも弟子が多い。
立木は郷の名で苗字は臼井。