名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

儲けたとの噂には人が群がる

正徳4年3月22日。
昨年御目見衆の中で大工に踏まれた者が近頃御目見得を取り消されたので、大工も名古屋10里(1里は約4キロ)四方追放となる。

田中源之亟の勧進能や芝居について頭から惣内方へ運上(税)を取るべきといろいろと話があった。
このため町奉行からの申し渡しには運上はともあれ、穢れた身でありながら社内へ入ったことは不届きと叱られると云々。
源之亟のところから運上金銀2枚を遣わす。
あちこちの四十八夜または開帳などでも惣内方へ結縁などと言って金を遣わすが、実はこれは運上であった。
源之亟は芝居の梵天(幣束)を清寿院のところから問い詰められ、自分で拵えたものを京から持ってきたと言うが、名古屋では清寿院から出さなかったのでここへも銀3枚を出す。
日数2日のことを主水殿は了承したが、一学と三九は承諾しなかったので叶わなかった。