名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

かなりの天候不順

天保8年。
一 3月29日明け方、御園町下長坂伝六郎屋敷で放火がある。
長屋北の端の屋根裏が燃え上がり、柱、高塀も半分ほど焦げる。
火の見は鐘を打たず、知れないようにする。
ただし、不注意からの出火には見せかける。

一 飢えての行き倒れがとても多く、3月18日には府下万松寺において無縁のための大施餓鬼が行われる。

一 3月15日夜、清水町川口屋又兵衛の妻には密夫がいた。
妻がこの密夫と駆け落ちした後、亭主が自害すると。

一 4月1日夜、駿河町の菊屋という油屋の家を打ち壊す。
油屋は日ごろから憎まれており、少しも施しを行わないのでこの如くと。

一 この春の末からの飢饉で疫病が大流行する。
このためいろいろなまじないが行われる。
熱田の御託宣だと榊の枝に(以下なし)。
また言うには、家族の人数ほどの梅干を茶碗に入れて湯を入れ、ひとり梅肉1粒ずつを食べ、残りの湯を飲み干して種を集め、次の歌を書いた紙に一緒に包んで川に流すように。
をのつから邪にふる雨はあらし、風こそけふの窓はうつらん。

一 今年の春、米は1両で3斗ほどになる。

一 5月8日、東懸所に御救小屋(避難所)が出来る。

一 6月は雨が少なくて暑さはとても厳しいが、23日夕方から少し湿る。
雷が多く、御下屋敷御ちん下(御亭下)へ落ちる(原文は落馬?)。
平田町へ1つ、建中寺の森・代官町戸田孫六郎その他4つほど落ちる。
中杉浄国院へ1つ落ちる。

一 同24日晩、雷が多く、大雨となる。
夕六半時(午後7時)、道徳新田で落雷により出火する。
この日、京都所司代土井大炊殿が鳴海に泊る。
他日、公は宿へ出向かれる(?原文:予曰 公出駅し玉ふ)。
大森村から東へ雷が多く落ちると。

一 6月21日夜、御役者大鼓島田定八の倅岩次郎が押切町八百屋娘と児玉の川端で心中する。
娘を殺し、自身も喉笛を刺して自害したところ、娘は5日目に死に、岩次郎は下牢(庶民に入る牢)へ連れて行かれて死ぬ。

一 前に記した通り6月24日から毎日雷が鳴る。
26日は武平町熊沢又八郎に落ちる。
その側の伊藤次郎左衛門の蔵をかすって壊す。
本町2丁目の笹屋平吉のところで仕事をしていた大工が驚いて高いところから落ちたのを、雷が落ちたと話していたとも。
笑い種である。
24日は勢州桑名へ50余りの雷が落ち、4ケ所で落雷により火が出る。

一 7月20日頃、本町割出しの蔵が唸るとかで、聞きに行く人が群れをなす。
両替町土佐屋の蔵のようで、夜八時(午前2時)頃から唸ると云々。
これは前の持ち主の婆が金を埋めおいたとの噂もある。

一 今年の盆前、極上の麦は3斗1升5合から4升くらいに段々となる。
その次のものは5升から8、9升まで、その下は盆の後段々下がる。

一 6月、岩村で少し騒ぎがある。

一 7月、能勢山立て籠もった者の事件。

一 8月5日朝、艮(北東)の風が強く、雨もとても激しい。
昼頃になり静まる。
枇杷島川は7合、矢田河原の御小屋見分所が流失する。
堀川は水が高くなり、物置きの穀物が漫(ママ、浸)かる。
御蔵前は土地が低いので、通りが水に浸かる。

一 8月14日の暴風の一件は次に記す。

一 8月、白鳥山法持寺墓所が雨風で崩れ、石槨(石の墓室)を掘り出すと、中に大小(刀)のような崩れたものが4本、それに鎧かそのようなものが崩れたものが出てくると。
他に髪の毛もたくさん出てくると。

一 9月3日、宮駅で芸州侯の家中の者が熱田方の御中間に手傷を負わせると。
かなりの厄介な事件だと。

一 同7日五時(午前8時、午後8時)前、祢宜町で火が出る。

一 9月6日夜、本町大手御番所に盗賊が入り、大小襠(うちかけ)・羽織・紙入などを盗むと。
鈴木治部左衛門組同心だった。

一 米は高値、1両で3斗になる。

一 10月9日明け方七半時(午前5時)、大きな地震がある。

一 石川伊織殿は寺社屋敷を拝領する。
旧宅と寺社役所を交換する。

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