名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

天保8年8月の暴風 その1

天保8年。
天保8丁酉8月14日未明から東風が吹いて雨も降るが、早朝はこの風が特別強くなる様子もなく、雲も真西に流れて行き、風向きとは少し逆であった。
そのため風が強くなるとは思えず、油断していると辰刻(午前7時)頃から次第に風が強くなり、巳刻(午前9時)を過ぎる頃には前代未聞の暴風となり、午刻(午前11時)過ぎから未刻(午後1時)になる頃にはようやく風も少し静まり、その後段々と風も凪ぎ、夜は快晴、中秋の名月で空は澄み渡り、昼の暴風は夢かと思うほどであったが、吹き倒された樹木や家の様子を見ると驚かずにはいられなかった。
そのため被害の激しかったところのことを大まかに記し、後の記録とする。
まず、御城内の大樹は半分ほど倒れ、大枝のねじ折れたものが御堀の中に吹き落され、松や杉の大木、大きな雑木が倒れ、御高塀の崩れたところの数は知れず。
茅座御門のあたりの大杉が折れたことなどは、今まで見聞きしたことのない被害である。
主文追加。
御本丸大木60本、御天守胴壁は大きく壊れ、少し壊れたところも多い。
向御屋敷の大木は250本あまり、黒御門前の高塀は粉々になり、一面が北に倒れた木になる。
東鉄まで通ることはできず、翌15日黒御門高塀際に3尺(1尺は約30センチ)の道を通し、通ることができるようにする。
御深井御塩蔵前の元御舂屋内御御米蔵構の榎多、御門内孔雀御門前までに大小237本が倒れる。
御数寄屋構では松が大小12本が倒れ、御金場前松林では大小15本が倒れる。
新馬場松林では大小27本、新馬場東往還並木は2本倒れる。
御旅蔵の大樹が吹き倒れ、6、7間(1間は約100メートル)も打ち崩し、御土居の松や杉も大小73本が倒れる。
御弓矢多門へ大杉3本が倒れ、4、5間を打ち崩す。

一 東照宮御境内内の大樹は数10本倒れ、御門内西の大松は折れる。
これに続いて御霊屋の木々も数多く倒れる。
このうち大杉1本は西の塀の外へ倒れ、通行できなくなる。
このため志水殿の物見長屋は南へ3間ほど粉々になる。
同裏側の大樹で御堀のあたりへ倒れたものの数は知れず。
御華表(鳥居)は倒れる。

一 牛頭天王社表側惣門の東の高塀は腰板だけが倒れ、宮中では樹木がたくさん倒れて重なりあったので、門外から中を見ても社は見えない。
もっとも拝殿瑞籬(みずがき)なども倒れ、西の坊の塀は全て倒れる。
その他にも壊れたところは多い。
天王裏は出入りはできなくなる。

一 本町大手升形の松は8本倒れる。
御建物には大きな被害はなし。

一 御園御門御土居際の大松は根元から折れ、御番所が粉々になる。

一 碁盤割の町通りは倒れるような木もさほどなく、家も並んで建っていたので大きな被害はなし。
ただし、棟瓦や軒の巴瓦などはたくさん吹き飛ばされ、かなり荒れ果てた様子である。
また、四ツ辻の西北角の家の多くでは壁が落ち、特に風が吹き付けた様子に見える。
また、碁盤割の中では、寺院に大した被害もなかった。
天満宮の鐘楼に被害もなく、伝馬町の火の見にも被害はなし。

一 東御門、埋御門、清水御門は少々被害があるが、さほどでもなし。

一 犬山侯上屋敷は表、構えに被害がないように見える。
中は大きな被害だと。

一 竹腰侯北の立派な高塀のところに杉が折れ、西の方に三分の一、東の方に半分ほど倒れ、真ん中が少しだけ残る。

一 織田侯大銀杏が折れ、長屋の南4、5間が粉々になる。

一 富永四郎左衛門殿長屋は8割程、門と共に南の高塀は全て倒れる。

一 水野内蔵殿長屋は大破し、門は激しく吹き飛ばされる。

一 桜町興善寺の本堂は崩れる。
庫裡もかなり壊れる。

一 広小路北側の町家は西から東まで何れも大きく壊れる。
その中の多くは庇の板が吹き飛ばされ、なかば崩れたように見えるところもある。
また、出店はことごとく倒れ、からくり的の小屋のみが残る。

一 玉置小平太殿の大杉3本の内2本が西へ倒れ、間宮侯の宝蔵が粉々になる。

一 阿部侯書院は吹き飛ばされ、垂木だけが残る。

一 埴原金左衛門殿長屋は建て替えており、この日で板目を取って半年ほどであった。

一 柳薬師堂前の柳の大樹が根元から倒れる。

一 神明神主の家の門から東の塀は倒れる。
透垣(すかした垣根)は吹き倒されて真っ逆さまで屋根に立ち、他に松3本が倒れる。

一 石川伊織殿は日ごろから雨漏りがしており、雨漏りのなかった寝間も吹き飛ばされてあきれかえる。

一 三蔵堀切の角の田辺某の大木フクラ芝(膨芝、クロガネモチ)は外側に倒れる。

一 若宮神前では格別な被害はなし。
表鳥居の側の大杉が倒れ、小杉は社前で24、5本が倒れる。
その上、枝葉が多く落ちて通行の妨げになる。
そのため一面に杉や松を敷いたようになる。
さて裏へ行って見てみると、連理稲荷のあたりでは大きな被害がある。
まず入口である鳥居の側の大杉3本が倒れ、戌亥(北西)の天満宮の社が崩れる。
また稲荷社の側の大樫1本が倒れ、鳥居3基が折る。
そのあたりで大杉3本が倒れる。
他に杉4本と雑木12本が森の中あちこちで倒れる。
また、からす(香良洲)の社へ向かう道へ樫の木が倒れ、通行ができなくなる。
当社の境の北の構え、高塀の側の大小の樹木が倒れ、御旅所前が通れなくなるほどである。
塀も大なり小なり崩れる。
当社境で倒れた木の数はあわせて120本ほどだと。
しかし、当所は見渡したところ倒れた木の数は少ないようであるのに、この被害であった。
それならば次に記す白林寺、政秀寺などで何100本の木が倒れたのだろうか、なかなか数えることもできない。
若宮北の構え高塀越しに大木がたくさん倒れる。

一 高田本坊本堂、鐘楼、堂鐘は4、5間脇へ吹き飛ばされて倒れる。

一 若宮の芝居はこの時市川海老蔵(イに團十郎)で大損害であった。
自作の狂言『裏表忠臣蔵』を演じて大当たりで、毎日正六ツ時(午前6時)から初めて毎日大入りであったが、この日は朝から風が吹き、その上雨天で見物人も少なかったので、始まりはいつもより遅くして昼少し前までに三段目の裏まで演じたが、あまりに風が強く、観客に事故があってはいけないと、三段目の裏が終わると天気に悪いので狂言を続け難いと口上して取りやめたが、どうしたわけか観客を急いで外に出さず、全員をウヅラという桟敷の下へ入れ、天気が回復するのを待ったが、いよいよ風がさらに激しくなり、さすがの大きな小屋の屋根板もばらばらと吹き飛ばされたので、芝居の者たちも怖くなり、急いで観客を外に出そうとすると、たくさんの人が吾も吾もと先を争ったのでなかなか進むことができない間にいよいよ雨が上から降りこみ、着物も帯もびしょ濡れになって水に浸かったところへ押し出され、まずは茶屋の婆のところでしばらく休ませてもらおうと行くと茶屋の婆の仮屋はとっくに吹き倒れており、婆は既にいなかった。
なすすべもなく、門で様子をみようとするが、もし門が倒れてはと芝居の表方が制して門のところにはおらせず、表へ出るようにと。
町屋はことごとく門を閉め、中に人を入れず。
屋根の板瓦などは木の葉のように吹き飛ばされ落ちており、通りが危険であったので海老屋だけが戸を開け、困った人を中へ入れると。
役者は衣装のまま茶屋町の宿へ行ったと。

一 御旅所の鳥居はねじ折れ、大松・大杉あわせて16本が倒れると。
その他小木の数はわからず。
このあたりの塀は大きく壊れる。

一 守綱寺の大杉4本、銀桜1本、松桜などたくさん倒れ、塀も壊れる。
渡辺半十郎殿末子葬送のため大木が取り置いてあり難儀する。

一 白林寺も大きな樹木がたくさん倒れ、表側の垣根は半分ほど崩れる。
この倒れた木のため渡辺氏家中の屋敷・長屋、門や塀などでは大破したところが多い。
当寺の構え西へ倒れ、通行の妨げとなる。
木はどれも大きな木で、杉3本、松2本、樫4本ほどである。
北へ倒れた木は数多く、数えることもできない。
その上、境内では大木がたくさん倒れ、一歩も歩けないと。
表門は閉めてあったので境内の様子は詳しくわからないが、総数あわせて300本あまりと噂している。
表門の通行はとりやめ、裏門を通る。

一 政秀寺はさらに倒れた大木が多い。
森へ倒れたのは門よりも南で、大杉5本、大樫2本、その他小木が数多くある。
中でも大きな杉は向かい側の町家に倒れ、屋根にかなり壊れたところがある。
門を入って見ると、14、5本の大杉が左右に倒れ、なかなか通行しがたいように見える。
寺中南昌院の側の大杉5本が倒れる。
この中には、周り3間ほどのものを筆頭にいずれも9尺(1尺は約30センチ)程もある。
当寺は先ごろから本堂の再建を行っており、既にかなり出来上がったものを仮屋の中に組み置いていた。
しかし、仮屋ばかりに被害があり、本堂に被害はなかった。
墓所の入口に大きな松の木があった。
地面に出た根の周りは目算で3間あまりの大木だったが、この松が長屋から庫裡にかけて倒れ、長屋・庫裡ともに激しく壊れる。
墓所では杉が多く倒れ、石塔は激しく壊れる。
当寺はあまりに多くの木が倒れたので自由に通行できない。
そのため、あちこちに通り道のいう札を立て、人々の案内とする。

一 性高院門内の大杉が3本倒れ、北の方の塀はかなり壊れる。
小杉5本が倒れる。
墓所入口の塀はことごとく倒れる。
また本堂の屋根は少し壊れる。
その他、塔頭、一行院の塀も3、4間倒れる。

一 総見寺は大木ばかり100本余り倒れると。
門が閉めてあり、入ることはできず。
そのため詳しくは見れず。
ただし、惣門の外でも周りが1丈(1丈は約3メートル)もある大杉が5、6本倒れて北の塀をかなり壊す。
同南の通りでは通行がかなり難しい。
それは、善篤寺の木々がたくさん倒れたのをそこへ出したためである。

一 清寿院表から見渡した木々に格段の被害はなし。
勝手口の高塀はことごとく倒れる。
芝居小屋は大須から杉が倒れ、このために崩れる。
茶屋婆の小屋は残らず倒れる。

一 大須大門から二王門までの間では大木16本ほど、小木は数知れず倒れる。
ただし、七ツ寺から倒れたものもある。
二王門を入って見ると、天満宮のところから大松2本が重なって大塔に倒れ、二重目、三重目をかなり壊す。
同所から大松1本が北東へ倒れ、所化寮の屋根を突き破り、椽までも激しく壊す。
中門の東では高塀もかなり壊れる。
当所の芝居小屋も崩れる。

一 七ツ寺はこのあたりでの一番の被害で、勝手口の門・塀はことごとく倒れ、境内弁天山の杉7本、松1本、紅葉1本が倒れ、その振動で石灯籠は中ほどから折れる。
弁天社北の小社は大杉の根に跳ね飛ばされて倒れる。
また、太子堂の南から西にかけて大小の区別なく樹木がほとんど倒れ、三社宮あたりも木々が残らず倒れる。
大日堂も粉々になるが、本尊は大日堂の中で被害もなく立っている。
その後ろの楊弓小屋などは崩れる。
また本堂北の後ろの塀は倒れる。
墓所境の塀は半分ほど倒れ、墓所の大杉3、4本も倒れ、同所の大松は南へ倒れ、茶屋は少し壊れる。

一 西懸所中門の中の桜の大枝が折れる。
門外でも桜の枝を折る。
惣門外の北の塀は倒れる。

一 妙善寺門外北の大樫は倒れ、表では門から北の塀は崩れる。
また、鳥居は折れる。
鐘楼の側の大松は、根は残って眼の高さより折れる。
周りは7、8尺ほど。

一 日置神社の松・杉は数多く倒れ、外の周りには格別の被害はなし。

一 東輪寺の木々はかなり倒れると。
門が閉めてあり入ることができず。

一 東懸け所では諸堂に被害はなし。
北の広場へ大樹が数多く倒れる。
本堂の西に松14本がある。
この内11本が倒れる。
また、茶所の前の井戸の側にある大松は倒れ、茶所の屋根に少し壊れる。
本堂前の二股の大松の片方は根から倒れ、片方は半ばから折れる。
台所の前の樫は倒れる。
廊下の側でも樫1本が倒れる。
本堂東南の大松、桜2本が折れる。
松の小枝も数多く折れる。
五日講会所前の大松は倒れる。
玄関前の大松も大枝が折れる。
惣会所の前の松3本、銀杏1本、その他樅、桜などがたくさん倒れ、門田内の桜の大枝も数多く折れる。
鼓楼の側の大松ならびにこのあたりの松・杉もだいぶん倒れ、西南の惣構が崩れる。
また春日井郡会所の後ろの大松3本が同じところに倒れ、会所は半分ほど崩れる。
また南の広場の大榎の大枝が折れる。
西の広場の松1本が中ほどから折れ、宿屋の屋根を少し壊す。
不思議なのは、西の広場矢来(柵)から少し北の長さ8間ばかり、周り4、5尺もあるような樅1本がどこかから飛んできたのかここに落ちていた。
この木はここから5、6町の範囲にはないと。
このような大枝が軽々と吹き飛んできたことで風の強さがわかるであろう。

一 東懸所の西構、沢嘉前へ樅の枝、3間ばかりの木があり、どこの木かわからず。
噂では熱田の森の木だと。

一 芝居小屋は半分以上崩れる。
屋根板は残らず吹き飛ばされる。

一 栄国寺は今回一番の被害で、小さな善光寺堂と庫裡は残ったが、惣門及び本堂、その他残らず倒れて崩れる。
本尊の頭はちぎれる。
ただし、大松を始め木々に大きな被害はなし。
外には直ぐに垣根を結い、見物人は入れず。
あちこちに札を張り、御用の御方様は裏門へ御廻り下さるようになどと書き出す。
この寺に大数珠があって疫は受けないとのことが、風は防げず。

一 長栄寺は倒木が多いと。
門を閉めて人を入れず。

一 春日社の鳥居から本社までの間には東西に大杉の並木がある。
東の11本、西の3本が倒れる。
また東にも大杉があり、東北へ倒れる。
そこから奥へ行くと、本社の四方の杉はことごとく倒れ、拝殿及び瑞籬も倒れた木に打たれて粉々になるが、その中に立つ社には被害はなし。
神徳の司馬らしさは明白である。
もっとも、これ以外にも木々が数多く倒れて見晴らしがよくなる。
ここから万松寺を見ると、万松寺でも高い樹木はいくらも残ってないように見え、森があったように見えなかった。
また、この東の長松院墓所の松2本が倒れ、石塔の石台がその上にのっていた。
これはこの松が倒れた振動で飛び上がったのか、珍しいことである。

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