昼前、甚左・友右・文右・義兵・助左は修理殿へ出向けとのことで出かけると、召仕には帰れとのことで帰した。夕暮れ頃、渡辺源右・広瀬弥右を修理殿から呼びに来て5人の者を東屋敷の準備が出来次第遣わすので、その際に気をつけるようにとのこと。夜中も詰める。与左も夜中までいたが、これは御目付山崎兵太夫・千村萩之右衛門、五十人目付磯貝伝之右衛門の以上4人にはこの夜喜十郎の死体の見分があったので与左も立ち合いに出かけた。その他は永井善右衛門だけが立ち合った。その後死体を桶に入れた。死体を塩漬けにし、座敷に置くと云々。しかし風が当たると堪えられないので地面に埋められないかと伺いをたてた。28日頃の話では、いまだに地面にも埋めず、臭気が四方にあふれると云々。伯父善右へ預ける。
25日卯半(午前6時)過ぎ、5人を町駕籠に乗せ、与左・弥右・源右が附いて行った。歩行の者3人を先に立てた。その他の供など数多くが東屋敷へついて行った。山田理右・兼松善蔵へ引き渡して戻った。昨日5人の者が修理殿へ来ると、そのまま大小刀を預かり、鼻紙袋までをその場に置いた。それを箱へ入れて持たせて行った。これもまた善蔵・理右に渡した。もっとも駕籠にも無刀で乗った。
24日、理右衛門・御先手善蔵に5人を預けると年寄衆から申し渡した。委細は御国奉行御用人衆から話があると申された。誰とは名を言わなかったが、御先手が替わることを先に記す。
東屋敷は4軒あった。1軒が不足するので小細工河村丹左の手で24日の1晩中かけて1軒を作った。
喜十郎の知行を召し上げた。5人の者に庄屋納めにし、明知の方へも納めさせないと。
5人の家々では最寄りの仲間に気をつけ、見廻り、火元などを申し付け、その上火事の際には取り調べ中の道具など注意するようにと。ただし役人にはその言い渡しはなかった。
食物などのその親類に申し付けるとその親類の支配方からそれぞれに申し渡された。
25日、山澄主税殿から申されたのは6人の家々を家探しすべきである、そのため修理殿の家老、用達ならびに足軽、町大工その他中間がやって来て与左が立ち合い、喜十郎・儀兵・文右の家を調べた。大工は板敷きを剥がさせるためであった。召仕の下女は長屋にいたが、家にある道具、子細な物に至るまで少しも残さず一々帳に記した。目も当てられぬことであった。甚だ手間がかかることで与左1人では行えず、十郎右・弥右・源右を頭から呼びに来て、この旨話された。このため助左へは弥右と源右衛門と用達佐治善左衛門が行って調べた。助左では助左妹婿で出雲守様(松平義方)御代官常川幸右衛門の道具をたくさん預かっていた。
十郎右のところへ家老橋本三郎兵衛用達駒井権右衛門、足軽1人、中間6人、大工1人の調べを済ませ、三郎兵衛が筆をとり、一々記した。甚左のところでは夕暮れまでに終え、友右のところでは夜半までかかって調べて記した。長屋には家持もおり、これも残らず記した。予備の武具・馬具などは全くなく、友右のところには空の長持ち3つが錠をして置いてあり、中には何も入っていなかった。その他衣類なども全くなかった。元から貧乏ではあったがあまりのことであった。隣の友右衛門の伯父児玉三郎進のところへ裏から全部運んだが、甚左のところには質札が24、5枚あった。十郎右の考えで8月2日以前の日付だったのでこれは帳から除いた。金梃子が1本と6、7寸(1寸は約3センチ)の丈夫な鎖がつくような鍵が1本あった。鎖はなかった。夜中過ぎ修理殿へ鍵を持参して見せた。その後弥右などもやって来て、頭のところで食事をし、丑(午前1時)頃帰った。
26日、儀兵・文右の家探しを行った。昨日与左衛門が調べたが、まだ見落としたところがあったので再度修理殿が命じ、修理家老と源右衛門が儀兵へ出向き、調べた。十郎右・文右のところへも行き、調べた。かるたが4面、その内1つは新しいもの・賽が4粒・火皿を押しつぶした真鍮銭に紙袋があった。文銭が2、300文あった。長屋には水風呂桶が据えてあった。もしかすると他国の博奕打ちがいたのかと邪推する者もいた。友右衛門のところでは昨日は夜で裏を見なかったので、ここを更に調べたと云々。十郎右衛門などは夜にまた又右衛門屋敷へ出向き、裏を調べた。
24日夜には修理殿足軽4人金左衛門・庄左衛門・半六・勘左衛門の大小刀を取り、大勢で前後を囲んで町奉行へ渡した。下帯までとって七間町の牢へ入った。岡崎弥兵衛足軽8人も同様。
25日。5人の家へ寝具を遣わせるようにとのことで蚊帳・綿入れ・袷ふとんをそれぞれ1つを葛篭(つづら)1つに入れ、それを与左のところで一々調べ、与左衛門の封印をして持たせ遣わした。
26日、甚左のところの金梃子を源右衛門が請け取り、頭へ遣わした。これは少し前に長屋の破損を修理するため浜嶋宇右から借りていたと云々。
6人の中で黒印を所持していたのは頭が請け取り、保管した。
6人の家中は陪臣までも注意を払うようにと云々。喜十郎にも従弟片倉源右衛門隠居。助左衛門には伯父竹腰紋大夫。