名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

時代劇だと手討にあってしまうところだ

正徳3年2月15日。
公が登城の際に途中で僧1人が訴状を駕籠の中に入れようとしたのを石川理左衛門が取り押さえ、それ御目付衆と呼びかけ、五十人衆が引き立てて取りのけた。
御目付は志水八郎左衛門、五十人目付は阿知波丹左衛門であった。
その時坊主は何と乱暴なと言ったが、関係なく引きのけ、その後御目付衆がどこの者かと尋ねた。
尾州長久手とか、大久手とかの曹洞宗住職であるが、村と訴訟となり、こちらに理があったのに役人の贔屓で負け、他の寺に移った。
あまりに無念と思い、どこかへ訴える手立てもなく、もちろん寺に未練もないけれど、訴訟に負けたわけを一通り御役人衆に申し上げたくてこの如く。
住まいは鮫河橋と云々。
口上を書き取って済ませておく。