名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

堪忍袋の緒が切れた

宝永6年7月8日。
本坂を過ぎ、呉(御)油まで2里(1里は約4キロ)のところで、腰物奉行の足軽神戸忠右衛門が永田三左衛門足軽目付を切ってすぐに自殺する。
三左衛門足軽は年も倍ぐらいで分をわきまえずに思い上がり、何事においても忠右衛門に指図していた。
忠右衛門はひたすら怒りを抑えていた。
ついに声高に若輩者めと言って三左衛門足軽を切ったと云々。
横井源五兵衛の仲間の頭であった。