名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2025-08-13から1日間の記事一覧

哀れな老人

享保1年12月29日。赤津粉屋勘右衛門弟が2、3日逐電する。この夜、熱田で見つけ、船に乗っていたのでその船待てと呼びかけると、男は海に飛び込む。女を連れていたが、女も飛び込んだところを引き上げられ、2人とも死ななかった。女は鮎川甚ノ右衛門…

年末は入用

享保1年12月28日。文左衛門は米18石を来年酉の2月晦日までの延べ(延べ取引)で彦六に売る。1両3斗9升で46両1分の見込み。鰤・なよし(ボラの幼魚)・江戸鱈もあるが、品が良くないように見える。今年の暮れは鳥羽鰡(ボラ)もあまり見かけず…

人の噂はあてにならない

享保1年12月25日。近頃名古屋で、中村政右衛門が叱られる。林一郎左衛門火事の際に広小路で見物しており、それを御目付に咎められた。津田玄春が前日まで出歩いていたのに、血を吐いて急死する。外では自殺かと。59才。少し前、娘1人と林正という息…

年末に火事にあうのは不幸中の不幸

享保1年12月24日。丑刻(午前1時)、火事だと。文左衛門が表へ出ると乾(北西)の方角に炎が上がる。中へ戻り、着替えて出かけると鎮まっていた。上の町まで出かけたが戻る。栄町南側の家数10軒が焼ける。

年の瀬は頼母子

享保1年12月21日。与左で頼母子1人分の1分9匁8分6厘ずつを出す。丸山加平次と村瀬弥兵に落ちる。

連帯責任のようなもので負担も大きい

享保1年12月20日。五十人片山勘之右衛門はますます乱心がひどくなり、従弟永井善右衛門へ預けられることとなり引き取る。五十人仲間が日に3度ずつ、2、3人ずつで見廻るようにと。仲間はちょっとだけ中に入り、家族に会って帰る。勘之右衛門には会わ…

この火事の原因では責任を感じるのもわかる気がする

享保1年12月19日。亥半(午後10時)頃、志水観音堂から少し北側の紺屋八大夫裏から火が出る。あちこちへ燃え移り、寅刻(午前3時)に鎮まる。北は新道から1町(1町は約100メートル)程南まで焼ける。南は下馬杭まで、東は藪まで、西側もその境…

仲間がいたのか

享保1年12月13日。この春、美濃大針村で久蔵という者が母の意見することを憎み、妻と申し合わせて道具を2階へ上げ、母親を絞め殺して盗みにあったと知らせたが、庄屋平左衛門などは疑った。久蔵は牢に入っていたが、この日大針村へ連れ帰った。磔にし…

政秀寺は気配りの寺

享保1年12月8日。政秀寺で法事が始まる。僧は30人。御馳走奉行は石川内蔵亟・成瀬内膳・箕形善左が勤める。御先手は五味市右衛門・左右田与平が勤める。名代は縫殿殿が勤める。辰刻(午前7時)に施餓鬼が始まる。金剛経、点心(軽食)、垂未(示か?…

支給して買い戻すのは手間でないのか

享保1年12月7日。この秋の買留(藩が支給した切米を買い上げ、藩の貯蔵米とすること)の1分(1割)の金が渡る。

今でも永年勤続の休暇ってありますよ

享保1年12月6日。酉(午後5時)過ぎ、駿河町宗円寺前の灰部屋の板屋根から煙が上がるのを、すぐに消し止める。大騒ぎとなる。松平出羽守が鳴海に泊まる。供応は受けられず。佐屋からやって来る。御馳走は生駒因幡が勤める。御挨拶人は成瀬修理が勤める…

300文は現介の手数料

享保1年12月4日。この日、仲間は口米を上納する。文左衛門は源介に頼み、御役料の中から3石8斗6合を引いて貰う。昨日、八平を遣わし、銭300文を遣わす。

間に合わなかった

享保1年12月1日。小笠原弾右衛門が江戸で死ぬ。66才。二男は看病の願いを済ませ、今月3日に名古屋を出発する。

享保1年12月の地震です

享保1年12月6日。亥半(午後10時)の地震はかなり長く揺れる。

享保1年12月の天気です

享保1年12月1日。細かい雪が降る。昼から雪は止む。27日の深夜からこの日まで雪が降る。享保1年12月2日。晴。道の状態が悪い。享保1年12月3日。晴。道の状態が悪い。恒河左五兵衛が転んで泥まみれになるのを文左衛門は見かける。それ以外にも…