名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

宗教って結構争いごとが多い

去年12月に記した法華宗説法僧本用院が異流(邪義)を勧めて歩き、道俗(僧侶や俗人)を惑わしたので、日比津定徳寺隠居日潤と宗論となり、役所へ判断を求めたところ、役所でも法流(仏教の教え)の意味の判断はできかねるので本山の裁許となり、夏から両人が上京したところ、日就は弁舌にまかせてねじ曲げて説いたが、日潤師は祖伝正道の人であったので弁は立たないが言い勝つと。
山主(本山)は本用院を贔屓の様子で、日潤に和談(和解)を勧めたが、日潤が申されたのは、和談は承知できないと。
日就は弁舌をもって異流の儀を説法し、道俗を惑わしたので檀方(檀家)にこれに従うような騒動が起こったので、この騒動の決断が白黒はっきりしないのであれば尾州諸俗(世間)の騒動は静まらないので私は承知できないと答えると。
右の両僧の最初の問答の書、ならびに本山で日潤の尾州寺社役所からの書付を持って法華寺・本住寺が一緒に本山に行き、再度参会したところ、山主は迷惑そうでさらに和談の勧める意向などと日潤から尾州へ申し来る。
手紙にあるままに左に記し置く。

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