名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

この時代の僧は困ったものだ

享保2年4月9日。
片桐九左衛門・天野治部が押乗を仰せつけられる。

(前略)
御国御用人菴原平左宅で中西甚五兵衛と2人が内内で見物する。
4月7日・9日の両日(通し矢が)行われる。

覚。
西本願寺末勢州桑名願証寺琢誓。
右琢誓のこと。
この度の専修寺への改宗のことを問いただしたところ、琢誓の行いは不届きであったので追放する。
改宗のは専修寺へ帰依するためでなく、自分の過ちから逃げ出すためである。
元々願証寺は養母慈珍院の寺であるので、寺法物などは専修寺へ託することがないように。
寺法物などは西本願寺へ戻すように専修寺触頭称念寺へ申し渡す。
酉4月。
差し上げ申す一札の事。
拙僧は西本願寺末勢州桑名願証寺で住職をしており、昨年秋一身田の専修寺に改派しました。
養母の慈珍院に対して不孝な行いがあったと慈珍院から本山に願い出たので、吟味するよう西本願寺から意見されたので詮議を行い、慈珍院は前住持の妻でまぎれもなく養母であることを届けたところ、拙僧には考え違いがあり、過ちを本山からの咎められことから逃れようと慈珍院に知らせずに改派を行い、養母に迷惑をかけて争い、その上吟味の中で道理に外れるようなことを言ったのは重ね重ね不届きと思われる。
このため江戸十里四方、京・大坂・堺・奈良・伏見・長崎・東海道筋・木曽路筋・日光・日光道中筋・名古屋・和歌山・水戸・伊勢一国・追放を言いつける旨言い渡された。
もし追放の地を徘徊し、慈珍院に対して害を与えるようなことがあればこの上さらに重罪を言いつけられる。
今後の証拠としてこの通り。
勢州桑名願証寺先住琢誓。
享保二年酉四月六日。
右の琢誓への言いつけの趣は私ども一同が承知する。
このため奥印(作成者より上位の者が証明のために押す印)を差し上げる。
以上。
築地本願寺輪番 観照寺。
琢誓は河内の箸尾の教行寺の住持であった。
8年前に願証寺へやって来た。
橘町の通所は没収となる。
寺社の足軽が昼と夜4人ずつ、橘町の者で番をする。