名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

連帯責任のようなもので負担も大きい

享保1年12月20日。
五十人片山勘之右衛門はますます乱心がひどくなり、従弟永井善右衛門へ預けられることとなり引き取る。
五十人仲間が日に3度ずつ、2、3人ずつで見廻るようにと。
仲間はちょっとだけ中に入り、家族に会って帰る。
勘之右衛門には会わなかった。

辰半(午前8時)、文左衛門は志水へ出かけ、焼け跡を見る。
哀れな様子であった。

夜、元水車(水車町のあたり)で火事だと。

15日夜、周防守(織田貞幹)組大嶋四郎右衛門召仕折平ともう一人が、熱田祢宜のところへ米を持って出かけた。
酒を振る舞われ、そて帰りに古渡のあたりで行人(行者)の耳を切った。
また呉服町粉屋四郎九郎召仕林助はせむしだったので背を切られたが、傷は浅かった。
助けを呼び、捕えて主人に2人とも預けた。
1人は主人のところへすぐに戻され、残る1人は留め置かれた。