名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

死をもって諌めようとしたのか

宝永6年7月7日。
松平玄蕃様の生見霊(いきみたま、親の魂を祀る)の祝儀として左京様にこの日膳を上げられ、役人にも料理を下される。
渥美甚五郎も盃などを頂戴し、ちょうど良い時と山城守様の勘気を詫び、さらには諌めた。
さしでがましいと玄蕃様に命じて殺させた。
3度切りつけたが切れなかった。
甚五郎は退いて次の間にうずくまっていた。
近習が甚五郎を討とうとしたが、甚五郎が叱りつけて追い払っているところへ左京様が現れ、討ち留められた。
手向かうことはなく、忠臣だと称えた。
公儀は届けを出して済ませた。
左京様は耄碌しており、甚五郎は番頭役で左京様の婿であった。
妻は山城守様と同腹だと云々。
妻は牢に入ると云々。