名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

今回は建中寺なので、この前の社参は熱田神宮ですかね

宝永6年7月9日。
辰半(午前8時)、公は建中寺装束所へ入られる。
髪を結いなおし、衣冠を召して本堂を詣で、それから瑞竜院霊屋、廟・霊仙院様(光友夫人)霊屋・泰心院様霊屋、廟・瑩珠院様(綱誠夫人)守殿へ詣で、右5ヶ所へ黄金1枚ずつならびに太刀、ただし霊仙院様と瑩珠院様には太刀はなく、瑞・泰両公へは廟へ太刀・黄金を供せられる。
先同朋1人、小姓随身4人、布衣12人か。
三門を10間(1間は約1,8メートル)入り、輿から降りられる。
隼人正は簾ならびに太刀、飛騨守(渡辺)は草履を扱う。
公は桧扇を持って現れる。
大寄合は三門の際から北へ西の方から並ぶ。
主水殿・靭負両城代、側同心頭は向拝の西に並びおり、和尚は向拝縁取の上に座り、寺ならびに一派の上人は東の方に並び、その次に寺家が並ぶ。
大番頭は堂上に並び、本堂階を降りられ、相応寺・性高院・高岳院は皆揃ったかと言葉をかけられる。
大森寺は病気のため出て来なかった。
帰りの装束所で髪を結いなおされる。