名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2025-03-01から1ヶ月間の記事一覧

今も相続は何かと物入り

正徳4年5月10日。雲侯の代替があったので、御家老小川惣左衛門が名代として先月11日に江戸を出発し、領地へ向かった。歩行8人、三本道具は千石余りの格であった。150、60両の物入りと云々。

いつもの芝居見物

正徳4年5月7日。文左衛門は巳(午前9時)から文四・弥次右と市へ出かける。先に酒3升を遣わしてあり、酒などを頂く。それから大須七つ寺へ行く。願正寺の芝居へ出かける。演目は小野小町都年玉、難波太夫が演じる。見物人は思いのほか少なかった。未(…

この木に手をだしてはいけない

正徳4年5月5日。日置村山の神の神木である大榎の穴へ嶋鴨の巣を探すと地元の12、3歳ばかりの百姓の子が、連れの子に麦がらを踏み台にさせ、その肩に上がって巣を探していると、下の子が踏み台にした麦がらから滑って落ち、上の子は穴に手を指し入れた…

どれほどの大きさだったのか

正徳4年5月2日。この朝、真巌院様の廟の台石が座り、巳(午前9時)頃から御番が引き上げる。

一体何を訴えたかったのか気になる

正徳4年5月1日。尾張公が登城した帰り、左内坂で順礼風の男1人が訴えることがあると駕籠の側へ近寄ろうとした。瑞祥院様へ入られるためにこの道筋を通っていた。御供の者が遠ざけようとした。五十人御目付がこの者を招き寄せ、子細を尋ねると尾州門前町…

正徳4年5月の天気です

正徳4年5月1日。曇。正徳4年5月2日。時々曇る。正徳4年5月3日。快晴。正徳4年5月4日。快晴。正徳4年5月5日。快晴。正徳4年5月9日。晴。正徳4年5月10日。曇。申(午後3時)から小雨が降る。時に雨が止む。1晩中雨が降る。正徳4年5…

屋敷のメンテナンスも大変だ

正徳4年4月28日。文左衛門は座敷と大屋の棟を包む。屋根葺きは2人で1人130ずつ、手伝いは3人。

賄賂かなんかかなあ

正徳4年4月27日。評定所東屋敷へ40あまりになる中間小頭佐藤分五右衛門が入る。6石取りで2000両の金持ちと云々。稲荷で行われた能の際、中座の金元をしたと。

なぜ米の値段をこれほどまで書き残したのか

正徳4年4月26日。壱岐守(竹腰)の米は両で5斗5合。

こりゃ大変だ

正徳4年4月24日。関東では暴風、高汐となる。吉田八郎右衛門が江戸へ入る際には、品川西生麦のあたりから大風雨となる。乗物に綱をつけて牽き、江戸へ入ると。廻船も多く打ち上げられ、あるいは壊れると。尾張の米も1000石ばかり沈むと云々。200…

しろんぼって何でしょう

正徳4年4月23日。熱田でしろんぼなる不孝者が麦穂をちぎる子どもを追いかけて溝河(どぶがわ)に落ちて死んでしまう。その父はねだる(せがむ)と云々。

また主智以

正徳4年4月20日。桜誓願寺で主以智が三社の託宣の談義を行い、珍しいと毎日2000人余りの聴衆がある。桑名町薬師寺で諦文が談義を行い、毎日多くの人が集まる。法花寺町妙蓮寺で本堂建立のため一千座の談義を始め、宗徒は大騒ぎとなる。乾徳寺では五…

重いものはまずは水運

正徳4年4月19日。惣河戸から石碑及び台石を引いて来る。

人事は水もの

正徳4年4月17日(18日か?)。近頃、巾下小普請鈴木彦右衛門が死に、700坪余りあるとの屋敷が召し上げる。山本作内とは従弟で、子が4人あった。初めは御餌指頭のところにおり、1人にされた時に小普請となる。初め津侯(松平義行)と甚だ良い関係…

しかし大変だなあ

正徳4年4月17日。御宮へ名代は肥前守が勤める。辰(午前7時)過ぎ、祭礼が行われる。評定所へ壱岐守(竹腰)・肥前守(滝川?)・主水・兵部が出向かれる。町廻りは御目付大田藤右衛門・石黒善次右衛門が勤める。押乗大津庄兵衛は大の字の大鑓タヲヲイ…

東照宮祭が今年も開幕

正徳4年4月16日。巳刻(午前9時)、舞楽が行われる。鉾振、太平楽、春庭楽、今年初めて陵王、納蘇利。一人の舞は秘曲と云々。

情報はちゃんと伝達しないと

正徳4年4月15日。この日から年寄衆は御屋形へ出向かれ、日々評定所へも出向かれる。河村丹左衛門が承り、急いで通り道の廊下や休所などを修理した。出入りは裏門から行う。表門からの出入は一切なかった。たばこ所も出来上がる。全て御屋形の通り道であ…

謝った時に赦していればこんなことにならなかったのに

正徳4年4月14日。京町通りでの車引初の時のこと。矢田作十郎の中間関平が通っていると町人が話しかけたが返事をしなかった。町人が笑って伊勢道と言ったので怒って叩いた。この町人は青物弥源兵衛という者で、抱いた子を下におろして組み付いた。中間は…

女房を奪われ、切られるとは理不尽

正徳4年4月13日。朝、本多与助が27で死ぬ。昨年冬に鶏をたくさん食べ、吹き出物もたくさん出たと云々。病中色々と話してまるで乱心のようであった。上唇に腫物ができたのを小刀で自ら切り落としたと云々。嶋数右衛門三男春田安左衛門を願う(養子にと…

壱岐守は竹腰

正徳4年4月11日。壱岐守の米が1両で5斗2升。

何も書いてないから通常のことなのでしょう

正徳4年4月10日。昨日、津田兵部が木曽路を通り名古屋に到着する。

この僧の名前はよく出てきます

正徳4年4月8日。南寺町桜誓願寺で主以智律師が説法を行う。朝5ツ半(午前9時)、晩8ツ(午前2時)過の毎日2座行われ、人がたくさん集まる。ひとかたならぬ弁舌と云々。

流れた材木を下流で自分たちのものにするんですよね

正徳4年4月6日。今月3日、木曽川は洪水となる。錦織の綱が切れ、材木が流れた。

こういう立派な僧もいるんです

正徳4年4月5日。麦の値段は6斗4升5合。永国寺で千座の談義が行われ、惣廻向は住持1人で行う。近年では毎月8日ずつ説法し、この日で1330座となった。

言い換えれば純愛かも

正徳4年4月2日。出来町小万物屋三右衛門が伊兵衛を切ったことがわかり、この日牢に入る。三右衛門は初め大野の者で、祢宜の伯父の妻と関係を持って孕ませ、伯父の妻を連れて名古屋へやって来て妻として暮らしていた。性悪者であった。

正徳4年4月の天気です

正徳4年4月1日。晴。正徳4年4月2日。雨が降り、時に小雨となる。未(午後1時)過ぎから雨が降り、1晩中ジメジメする。正徳4年4月3日。雨が1日中降り、ジメジメする。申(午後3時)前、西では大雨となる。しばらくして雨は止む。夜、曇る。蒲焼…

これは一体何の米や金なんでしょう

正徳4年3月30日。この日5日目で能が終了する。巳(午前9時)から文四の家内、弥四の家内・加平次・治平夫婦・太郎吉母と文左衛門は巾下の六大夫のところへ出かけ、水車を見る。米を持たせて出かける。亭主から昼にはこわめし・にしめが出る。その後、…

覚悟の上の行動と自殺

正徳4年3月29日。能は4日目で、狂言の演目は花子と海士。この日演目が増える。3日目には西行桜が増える。2日目が雨だったので出来なかった分を増やす。2日目に133両2分、3日目に190両。未半(午後2時)過ぎ、平岩伝右衛門内儀の迎えに山中…

本当にこのあたりの表現は辞書にも載っていない

正徳4年3月28日。文左衛門の書替は9斗5升。この代金は1両2分、5匁7升5厘。1両で5斗9升5合。この夏の麦の値段は1両で6斗4升5合。

改号はいちゃもんのような気がするのですが

正徳4年3月25日。周防守(織田貞勘)が尾張を出発する。真巌院様と改号のことは今日尾張で言いつけられる。文左衛門などには廻文はなし。