名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

覚悟の上の行動と自殺

正徳4年3月29日。
能は4日目で、狂言の演目は花子と海士。
この日演目が増える。
3日目には西行桜が増える。
2日目が雨だったので出来なかった分を増やす。
2日目に133両2分、3日目に190両。

未半(午後2時)過ぎ、平岩伝右衛門内儀の迎えに山中覚左衛門のところへ伝右衛門おとな(老臣など)吉左衛門40余り、ならびに中間折平22、八兵衛、他に茶の間女1人が一緒に出かけると、高木十右衛門東の構えで後ろから吉左衛門を折平が後ろから斜めに1回切りつけた。
女は驚いて平尾八郎左衛門へ走り入ったのを折平は7、8間(1間は約1、8メートル)追いかけたが追いつかず、八郎左の境、十右の構えで脇差を喉に突き、鐔(つば)まで貫いて死んでしまった。
吉左衛門は倒れて死んだふりをしていたが、折平が死ぬと話し出し、その後には起き上がって座り、翌日には湯漬けを喜んで食べ、また下帯がないことを説明した。
おかしなことであった。
深夜に見分があった。
翌申(午後3時)前、吉左衛門を伝右衛門のところに駕籠で引き取った。
4月1日、伝右衛門に任せるということで済ませた。
その翌日のことか、伝右のところで吉左衛門を殺した。
死にあたっては泣いてうろたえると。
折平の死体も伝右のところへ引き取り、請人に渡した。
八兵衛は逃げて行方がわからなくなった。
折平が会っていたのはこの女であった。
これを吉左衛門が犯したと。