名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

謝った時に赦していればこんなことにならなかったのに

正徳4年4月14日。
京町通りでの車引初の時のこと。
矢田作十郎の中間関平が通っていると町人が話しかけたが返事をしなかった。
町人が笑って伊勢道と言ったので怒って叩いた。
この町人は青物弥源兵衛という者で、抱いた子を下におろして組み付いた。
中間は脇差を抜いて少し切りつけたが、反対に踏み抑えられて気を失ったと云々。
源兵衛と家主などが作十郎のところへ行き謝ったが納得しなかった。
16日に源兵衛は書置きを残し、首をつって死んでしまった。
中間は追放となった。
後日のことと云々。
源兵衛大屋清六のところではヌキ(貫か?)を米の形のようにあて、大釘で打ち付けた。
家は伊勢町京町西北角の2、3軒西であった。
源兵衛はその北の方の借屋に住んでいた。
清六の向こう近所でこのことにかかわった者は戸を閉ざした。