名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-07-01から1ヶ月間の記事一覧

こりゃ、物騒だ

元禄16年3月27日。近頃、湯本貞右衛門座敷の前の塀を切り抜いて盗みが入る。座敷にあった鞍などを持ち去る。湯本貞右衛門は江戸におり、留守であった。小藤円右衛門の塀を乗り越えようとすると通りがかった者が者があった。届けたのでここでは盗まなか…

生臭坊主とはこのこと、嫉妬か

元禄16年3月26日。寺社奉行の所へ常明寺を呼びつけ、大光寺の後任住職がなかなか決まらないことで檀家衆にいろいろ言って邪魔をするのは甚だ不届きであると言いつける。黒犬に衣を着せたようで大悪人の僧だと散々悪口を言い、叱りつける。常明寺は面目…

報告忘れは致命傷

元禄16年3月22日(ママ)。午刻(午前11時時)、清水町酒屋太郎右衛門裏の灰屋から火が燃え上がろうとするのをすぐに消し止める。朝、長者町2町目伽羅油屋(鬢付け油)勘左衛門を町奉行が博奕の容疑で召し捕らえる。椽の下に隠れていたのを縛る。近…

考えごとでもしていたか

元禄16年3月24日。近頃、堀田弥五右衛門が建中寺内下馬の場所を馬に乗ったまま通る。過料(制裁金)を払う。

塀があれば安心

元禄16年3月23日。文左衛門は西境の舎塀を築かせる。8間(1間は約1、8メートル)近くなり、1間あたり100文。

これは計画的だ

元禄16年3月22日。近頃、織田宮内家老の堤左一右衛門という者が同じ役の与右衛門が江戸から戻る朝に逐電する。お金には無頓着だったと。書き留めたものには高野山に行き、剃髪すると云々。妻などは残していき、道具などは全て移してしまい、何もないと。

距離の割に家はまばら

元禄16年3月21日。丑半(午前2時)、枇杷島橋の向かい側、小田井向かう道の両側1町半(1町は約100メートル)程が焼失する。棟数は28ほどある。明け方に消し止める。

どうして死ななきゃいけないの

元禄16年3月20日。兼松源兵衛悉皆人(家中を取り仕切る人)と伊勢町研屋彦兵衛が伊勢へ参り、帰りの途につく。この日、彦兵衛は四日市から船に乗ろうと言う。悉皆人は桑名から乗ると言って中間を彦兵衛につけ、桑名から船に乗る。熱田に着いて聞くと彦…

一体何があったんだろう

元禄16年3月14日。高須で津侯(松平義行)の家来を処罰する。相沢舞之進23は納戸詰の下級役人であったが切腹仰せ付けられる。矢部幸内・岡部染之助の両人も下級役人であったが逐電する。染之助はとても麗しかった。こちらは見つけ次第打ち捨てるよう…

利兵衛がもっと毅然とした態度を取っていればよかったのに

元禄16年3月8日。夕暮れ頃、紙屋利兵衛が14、5になる僕を用事で東の方へ遣わした。七間町通り、杉ノ町と桜之町の間で町人が多く集まり、大人も子どもも群れていた。この者たちがこの僕を捕らえて散々に叩いていたぶった。僕はかろうじて帰って伏せっ…

いちいち交換するのなら最初から現金支給の方がいいような気もするのですが

元禄16年3月5日。文左衛門は役料手形7斗8升を替える。6両300余り。

今や竜泉寺の湯で有名

元禄16年3月1日。松洞山竜泉寺で開帳が行われる。

元禄16年3月の天気です

元禄16年3月4日。深夜から雨が降る。元禄16年3月5日。雨。元禄16年3月6日。雨。辰(午前7時)過ぎから大雨となる。巳(午前9時)前過ぎると止み、段々晴れる。元禄16年3月7日。晴。元禄16年3月8日。夜更けに雨が降る。元禄16年3月…

嘘をついちゃあダメでしょう

元禄16年2月30日。熊井十次郎は遠慮許される。中根清太夫も自ら遠慮していたが、この日から出仕する。近松幸安父子も遠慮することなく出仕する。町奉行がこれを申し渡す。赤穂夜討にことに関係して。高須で津侯(松平義行)の歩行3人が行いが悪く追放…

何やらさびしい末路

元禄16年2月26日。昨年、杉村で松屋町古手うり(古物商)茂右衛門が叩き殺されたことで高札が立つ。鈴木水之介が乞食となり名古屋へやって来る。坂下万右衛門の所で多葉粉の粉を乞う。万右衛門は見ることができず、後ろ向きでつかんで渡す。小間物屋三…

相場は難しい

元禄16年2月21日。蔵の値段が立ち直り、2升下がり7斗8升となる。

今なら人身売買と非難されそう

元禄16年2月20日。夜、弥兵の内儀が死ぬ。山下道三の娘であった。初め道三は甥の山下武左衛門にを養子にして嫁がせようとしたが、武左衛門は承知しなかった。その他にも悪事があったので道三から申し上げ、武左衛門は暇を下される。このため泰心院(綱…

これがさっきの一札か

元禄16年2月18日。少し前、前嶋小右衛門の勤書ならびに半三郎の母に生活について尋ねられたとのことなので、願書2通を文左衛門は彦兵殿に差し出す。別紙のこれを残す。

逆恨みか

元禄16年2月11日。申(午後3時)過ぎ、七曲青木五右衛門門外で里村善次左衛門の僕が切り殺される。その前に人宿(口入屋)と浪人が善次左衛門の所へやって来て、この僕と口論していた。浪人がここへ奉公しようとしたのをこの僕が邪魔をしたというよう…

切支丹でないことが重要

元禄16年2月9日。彼岸に入り、大須で十三郎の狂言が行われる。その他に、15ばかりの軽業小桜桐之助。またこの時疱瘡の小さな女の子は手足の指は3本で、広く割けている。この子は伯耆の者と。以上3本の出し物。十三郎の芝居は大いに賑わう。町奉行へ…

去年中々金を払わなかったので信用がない

元禄16年2月2日。近頃、松井林右衛門が払木を3両分取りに遣わす。昨年に懲りて、これを渡さなかった。今春、蔵の買い貯めた米は7分、残りは3分。米の値段は1両で7斗6升。

元禄16年2月の天気です

元禄16年2月1日。未(午後1時)過ぎ、西から雲が起こり、西風が吹く。霰、雨がしばらく降る。雷が4、5度鳴って止む。その後、晴れる。元禄16年2月5日。薄曇。巳半(午前9時)過ぎから雨が降る。巽(南東)の風が吹き、ますます雨が激しくなる。…

ちゃんと礼はしないと

元禄16年1月28日。小右衛門妻を置くことで彦兵殿から小頭が決まったと申してくる。このため彦兵殿と武兵に礼に文左衛門は出かける。

見て見ぬふりはいけません

元禄16年1月26日。近頃、喜知姫様の中間が下屋敷の堀で投網を仕事と偽って打つ。押の者が詰問し、牢に入る。近所の辻番はこれを咎めなかったと叱られる。近頃、野呂瀬紋左衛門家内が石谷浅之右衛門の法事が木賀崎であるので参詣する。その留守には門左…

いろいろと手続きに気を病んでる文左衛門

元禄16年1月25日。文左衛門は小右衛門妻を引き取り置くことを柴山百介に聞きに行かせる。元来国を出た者、特に女なら断らなくても苦しくはないか。また目付へ頭から断りを入れるべきか、我らが直接入れるべきか。百介の返事には国を出た者、他国など差…

前嶋小右衛門のことは前に書かれているのですがここから登場させます

元禄16年1月24日。午半刻(午後0時)、おふゆ・半三郎が駕籠で半左衛門のところに到着する。中間角右衛門も附いて来る。文左衛門は書付を小頭へ遣わす。覚前嶋小右衛門妻は私の従兄弟であります。小右衛門は今月9日に伏見屋敷で病死したので小右衛門…

のむぎ村ってどこなんでしょう

元禄16年1月23日。丑8刻(午前2時半過ぎ)、坤(南西)の西寄りに火柱が見える。蟹江のあたりでのむぎ村正願(順とも)寺が焼失する。また明け方前、乾(北西)に火柱で、これは近江守知行所で今尾村は大方が焼失する。家の数は150軒ばかりと。

これで成仏できる

元禄16年1月21日。彦坂主膳塩漬の死骸について扱いを任せるとのことなので翌晩葬る。近頃、熱田の井戸へ狐が落ちて死に、水が悪くなる。汲まないようにとのこと。狐が落ちなくても、井戸が壊れて水が悪くなったと。

よほどの性悪

元禄16年1月19日。惣河戸の50歩(1歩は約1,8メートル)北の堀の中に広井村の船大工甚八が切られており、文左衛門は出かけてこれを見る。頬を3か所、左の指を切り落とし、右の手に2、3か所脈所などを切られる。下帯はなし。甚八ははなはだ性悪…

良かったといえば良かった

元禄16年1月14日。夜、清須で3軒が焼失する。風が激しかったがはずれの家だったので大火にはならず。