名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

嘘をついちゃあダメでしょう

元禄16年2月30日。
熊井十次郎は遠慮許される。
中根清太夫も自ら遠慮していたが、この日から出仕する。
近松幸安父子も遠慮することなく出仕する。
町奉行がこれを申し渡す。
赤穂夜討にことに関係して。
高須で津侯(松平義行)の歩行3人が行いが悪く追放となる。
鷲見佐之右衛門・伊坂只平次・向山理右衛門。
近頃、法花宗光蓮寺末寺の万松寺下玄乗寺が上葺き(屋根の葺き替え)の願いを土屋庄左へ持参した。
ここの代官奥田彦九郎添状は手代が同じく持参した。
また本寺光蓮寺からの間違いないとの添状は弟子の坊主が持参した。
玄乗寺願書と彦九郎添状を駒林仙之右衛門が見て、これは筆跡が同じだと言った。
玄乗寺も彦九手代も別の者が書いたと言った。
何某と何某が書いたとものだと。
寺社奉行はこれを見ると筆跡が同じなのは明らかであった。
明日書いた者を呼んで吟味すると云々。
光蓮寺添状に判がないことを三郎右詰問した。
使いの僧がわけがあって押さなかったと言った。
三郎右はこのことを大いに叱りつけた。
翌朝、彦九郎は三郎右のところへ出かけた。
昨日手代が間違ったことを言ってしまったようで、これはなるほど水奉行手代の何某が1人で書いたもので、どうか許してほしいと言った。
しかし、三郎右は許さず、玄乗寺は大いに叱られ、上葺きの願いも聞き入れられなかった。