名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

嵌められたか

元禄9年9月30日。
29日のことであったが、水道奉行朝岡甚五右衛門と鈴木伝太夫の手代今井平右衛門・足立間右衛門の両人が牢に入る。
七間町のあげ(揚)牢に入る。
妻子は頭に御預けとなる。
甚五衛門のところには8人。
太夫のところには4人。
共に40日余り、頭の食事などは言うまでもなく、番なども油断なく勤める。
40日余りで両人の手代は許される。
御国には居ないよう言い渡される。
11月10日には言い渡しがある。
常々勤めはいい加減で、その上町人と馴れ親しみ、仕事を疎かにしていた。
このため両人は城下に居れなくする。
頭も気づかなかったと。
皆が言うには調べてみると、簡略方が何事かに気づき、自らの手柄にしようとよく調べもせずに色々と書き出し、町奉行へと渡してしまった。
29日に請け取った書類で詮議を行ったが皆が言には身の程知らずだと。
ただ町人と馴れ親しんだ件はふたりとも酒好きで、酒などを御馳走になったことは言い訳もできない。
この日、1度詮議をしてから牢に入れ、その後永らくは1度も詮議がなかったと云々。