名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-01-05から1日間の記事一覧

暗い話題だなあ

宝永4年2月25日。作事奉行鈴木弥右衛門に命じて江原権平治の空屋敷を修繕し、夜のうちに建中寺の寺家全順院・養寿院を押し込める。足軽頭馬場三右衛門がこの番をする。少し前、津守様(松平義行)衆鈴木瀬兵衛の21になる子が高須で乱心して自殺する。

血が騒ぐか

宝永4年2月22日。彼岸に入り、大須で3芝居が行われる。十三郎・竹田・からくり。

いちおう初婚です

宝永4年2月21日。但馬守様(松平友著)の納采、この日、正親町大納言殿に遣わす。番頭鈴木十兵衛、用人河合文五左衛門両人が使いであった。この両人は輿入れまで京に逗留し、輿について江戸へと下る。

跡取りがいなかったんですね

宝永4年2月19日。近頃、巾下小普請鈴木孫左衛門が死に、屋敷を取り上げる。

打ち捨ては死罪です

宝永4年2月19日。近頃、熱田白鳥あたりで飛騨山材木問屋七兵衛という者に召仕える女を同僚の角前髪が外で切り殺した。逃げるところを捕まえ、牢に入れる。後に男は打ち捨てとなる。生まれの飛騨では請状5通が見つからずと。

危ないし、消火活動の妨げになる

宝永4年2月15日。火元へは馳せ集まらないようとの廻文がある。

優雅だなあ

宝永4年2月12日。申刻(午後3時)から文左衛門は瀬左と御用水のあたりを散策して帰り、夕暮れにかねてからの約束の通り加兵へ出かける。船越安兵もやって来る。子(午後11時)過ぎに帰る。

暇を出されてしまえば元の木阿弥

宝永4年2月9日。近頃、町野助左衛門が尾州に戻ると箱根までやって来たが、過ちをしたと偽ってまた江戸へと戻った。心底から江戸にいたいばかり。このため暇を出される。

火事の後に何をしてるの

宝永4年2月7日。文左衛門は朝食後巾下あたりへ出かけ、小一で酒を頂く。そこからあちこち廻って未(午後1時)過ぎに帰る。

こりゃ中々の大火

宝永4年2月1日。酉半(午後6時)、白壁町角の久松弥一右衛門の奥から火が出る。ちょうど乾(北西)の風が強く吹いており、すぐに成田紋太夫のところへ燃え移る。風は段々とおさまる。成田紋太夫のところでは土蔵に至るまで残らず焼失する。佐々木岡右衛…

宝永4年2月の天気です

宝永4年2月2日。薄曇。深夜から雨が降る。宝永4年2月3日。雨。夜更けからジメジメする。宝永4年2月4日。雨は巳(午前9時)前から止む。1晩中ジメジメする。宝永4年2月5日。雨が巳(午前9時)から止む。曇。宝永4年2月6日。晴。夜、曇る。…