名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-01-01から1日間の記事一覧

ある意味平和な時代が200年

文化12年4月。東照大神君の200回忌につき、名古屋でも千部御法事御修行を仰せ付けられ、今年から物頭以上の面々は拝礼を済ませるようにと。

こちらも寄付がザックザック

文化12年2月13日。大須真福寺五重塔建立の釿始が行われる。大須は城南第一の賑わいで大悲尊はもちろん不動明王、太子、天神まで素晴らしいものであった。集まった人々は早朝から日暮れまでひっきりなしであった。この建立も末頼もしく、寄進の名録を掛…

やはり宗教の力はすごい

文化12年1月18日。東本願寺の地築きが始まる。支柱、その他近遠の地から人々が集まり、地築きをする。その賑わいは日に日に大きくなり、見物する貴賤は引きもきらず。段々と出来上がり、その賑わいは前代未聞のことであった。釿始(ちょうなはじめ、仕…

文化11年3月。大須の門前に見世物として来ていた釜のこと。この茶釜は85代後堀川院の時代の承久年中に、駿州志多郡大多村の百姓某が石櫃に入っていたのを地中から掘り出し、銘を内一文字と名付けて永くその家に伝えていた。その後文明年中に京都にそれ…

建て替えですか

文化11年。東掛所の本堂を壊す。

かなりの火事だったようだ

元禄9年1月30日。子3点(午後11時半過ぎ)、大津町通、本重町と袋町通の間にある東西の家が残らず消失する。わずか5、6軒だけが焼け残る。この火事で渡辺半蔵足軽3人がけがをする。幼子ひとりが井戸に落ちて死ぬ。また町人ふたりがけがをすると。…

どうして放火など、許せない

元禄9年1月29日。子刻(午後11時)前、火事だと騒ぎがある。文左衛門は知らず。四女子村の3軒が焼け、付火だったと。

冷酷だなあ

元禄9年1月28日。晴天。戌刻(午後7時)、僕善介が鈍いので文左衛門は杖で善介を叩く。善介は落ち込み、文左衛門が奥へ入った後、立膝をついて脇差をかまえたと。笑うべきことであった。

1月27日の天気です

元禄9年1月27日。夜、曇る。

じゃあ、この日伝えてもよかったような

元禄9年1月24日。彦兵衛の遠慮が終わる。

会えなければ仕方がないですね

元禄9年1月23日。朝、晴。昼前から薄曇。冨永左門が行方をくらますと。仲間に知らせるようにとのことで彦兵衛のところへ出かけるが、彦兵衛は遠慮中で門を閉ざしていたので門番に名も告げず、言い残して帰る。

1月21日の天気です

元禄9年1月21日。晴。風が吹き、寒さが厳しい。

地震が増えてます

元禄9年1月20日。曇。巳刻(午前9時)からわずかに雨が降る。巳刻(午前9時)、地面が揺れ動く。かなりの地震であった。

この日もいろいろありました

元禄9年1月19日。夜、曇。わずかに雨が降るが、亥刻(午後9時)には止む。寅2点(午前3時半頃)に地震がある。戌刻(午後7時)、火事だと騒ぎがあるが文左衛門は知らず。

編笠は身を隠すためか

元禄9年1月18日。若宮で操りが行われる。太夫は岡本分太夫。狂言座元は和泉屋十三郎。文左衛門は只右・平左・円右と出かけ、狂言若水の井を見て日暮れに帰る。武兵町通、伝馬町西南角の町人新兵衛世倅新八のところで編笠を買う。狂言の役者の中で滝山六…

どうやら江戸の話だったようです

元禄9年1月17日。曇。巳(午前9時)頃、法泉寺より使いの僧がやって来たので、堀治部右衛門は長屋で会う。尾張公からの使者と連れ立って寺社奉行所へ行きたいと願うが、堀は家風と許さずと云々。使者の名前を聞くがこれも答えずと云々。人々はこれを称…

いや、自殺はひっそりとしますよ

元禄9年1月15日。快晴。夜、三郎兵衛が法泉寺の門前で自殺する。熨斗目を着せてあった。三郎兵衛花押のある自筆の書置が三郎兵衛の仲間から御目付へ届けられる。法泉寺門前から中へと入った寂しい場所で、その上、坂を上らなければいけない場所で自殺し…

1月14日の天気です

元禄9年1月14日。空晴れ渡る。

1月12日の天気です

元禄9年1月12日。曇。巳刻(午前9時)から雨が降る。夜には晴れる。

情報は正確に

元禄9年1月10日。薄曇。戌刻(午後7時)、火事だと騒ぎがあるが、どこかわからず。昨年の冬、熱田で枯売(鰹節売?)弥吉を殺したかめという婆が山崎の茶屋の女と牢に入る。

福引なんて胴元が儲かるもの

元禄9年1月2日。水野六兵衛召仕の女が母に対して不届きを怒り、脇差でむね打ちにしようして掌が返ってしまい切り殺してしまう。あるいは、この女はほう引き(宝引き、正月に行う福引き)をやって大負けをする。夜中になって六兵衛母が儲かったようなこと…

やはりおしめか

元禄9年1月9日。酉半(午後6時)過ぎ、法花寺町下の新地の借屋で襁褓(おむつ)を火燵へ入れ、火を燃えたたせたのを火事だと勘違いし、騒ぎとなる。

武術にはいろいろと手を出すのだけれど

元禄9年1月7日。文左衛門は能瀬彦之丞のところへ出かける。居合の初稽古のため。

文左衛門さんも参加したもよう

元禄9年1月4日。田村新八のとことで鑓の初稽古がある。

1月6日の天気です

元禄9年1月6日。夜、曇。

1月5日の天気です

元禄9年1月5日。寒さ厳しい。

冬は洗濯物が乾かない

元禄9年1月3日。薄曇、その後晴れる。巳2点(午前9時半頃)に地震がある。申刻(午後3時)過ぎに火事だと騒ぎがある。駿河町下の借屋で襁褓(おむつ)を火燵へ置くと燃えあがったと。

正月早々の様々な事件

元禄9年1月2日。薄曇。風が吹く。山上東の高岳院墓所で呉服町徳力仁兵衛借家に住む革屋の弟子が自害する。昨夜自害しており、この朝関円右衛門・同加兵衛が参詣した際に見つけ僧に告げる。酉半(午後6時)、納屋裏祢宜町で火事がある。1町(1町は約1…

1月1日の天気です

元禄9年1月1日。快晴。