名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

どうやら江戸の話だったようです

元禄9年1月17日。
曇。
巳(午前9時)頃、法泉寺より使いの僧がやって来たので、堀治部右衛門は長屋で会う。
尾張公からの使者と連れ立って寺社奉行所へ行きたいと願うが、堀は家風と許さずと云々。
使者の名前を聞くがこれも答えずと云々。
人々はこれを称えると云々。
紅葉山からの御帰りの後、御供番水野藤右衛門が寺社奉行へ御使いとして出かける。
三郎兵衛の死体を引き取り、堀治部右・飯沼勘平が検分する。
その後、一買(市谷)御留守居岡田加左衛門の扱いで、火の廻りの者に鳥目(銭)を取らせてこの死体を捨てるようにと命令する。
乞丐人(乞食)まどの死体も鳥目を取らせて捨てさせることがあった。
近親の者はどこかへ行かされる。