名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

よほどの性悪

元禄16年1月19日。
惣河戸の50歩(1歩は約1,8メートル)北の堀の中に広井村の船大工甚八が切られており、文左衛門は出かけてこれを見る。
頬を3か所、左の指を切り落とし、右の手に2、3か所脈所などを切られる。
下帯はなし。
甚八ははなはだ性悪で母や弟とは上手くいっていなかった。
母は甚八弟の坂之丞に命じてだましてここへ連れて来て切り殺させた。
坂之丞には弟が2人あった。
坂之丞を召し捕り、五味弾右衛門の支配所に預ける。
丑刻(午前1時)、そこの庄屋・組頭などがやって来て甚八の死骸を受け取ってい行く。
巳(午前9時)頃、巾下さこ(栄生)村で火事があり、12軒が焼失する。