名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-07-01から1ヶ月間の記事一覧

これは困ったことだ

元禄16年1月15日。熱田の印地打ちで巧みな者がおらず、見物の諸士・町人などの中には石で頭を砕かれた者がある。神宮寺の堂のそばまで印地打ちが追いかけたのは宮の失敗だと云々。

正月早々何をやっているのか

元禄16年1月1日。二条番青柳新九郎が飯田権九郎宅へ出かけ、喧嘩し双方闘う。2人とも稲葉駿河守組であった。

元禄16年1月の天気です

元禄16年1月1日。空晴れ渡る。深夜に雨が降る。元禄16年1月2日。朝の間、雪と雨がまじって降る。やがて雨となり、巳午前9時)過ぎに止む。未(午後1時)からまた降り始める。亥(午後9時)前に晴れる。元禄16年1月3日。晴。元禄16年1月4…

豊臣秀次の末路のようだ

元禄15年12月29日。運上奉行吉田七太夫に縫殿の屋敷で申し渡しがある。役を召し放たれ、馬廻となる。委細は弥次右衛門が申し渡すと云々。逼塞するようにと云々。七太夫は運上ごとに贔屓し、私欲もあると云々。七太夫は所々の川に昨年まこも(真菰)を…

日ごろから訓練しててのかも

元禄15年12月27日。近頃、稲葉惣左衛門家から火が燃え上がろうとするのを消し止める。他に知らせずよく消したと。

鼻血なら大病とは思わないわ。

元禄15年12月26日。彦坂主膳が病死する。4、5日前、鼻血が大量に出たが、大病とは見えなかったので届けはしなかった。その死が急に弥兵に伝わり、医者などがやって来る。翌日検使として大目付松井市右衛門・目付内藤喜左衛門、岡崎善右衛門・五十人…

真実はいかに

元禄15年12月25日。夜、酒井金兵衛若党が自害し損ねる。2、3日して請人に渡す。近頃暇を出したが、この日の夕方前に道具を片付けに来て、長屋でこの如く。借金や不届きがあり、金兵衛が叱ったところ若党が脇差に手をかけたので踏み倒した。若党が言…

本当に僕の仕業なのか

元禄15年12月24日。近頃、藤塚町新番三浦左平治が松井与兵妻の姪と婚姻する。町衆は祝儀として水に酒が少し入った樽と鯣(するめ)1枚を添えて遣わすと、これを左平治門外へ捨ててしまう。これは堪忍できないと言うと、左平治が謝って言うには捨てて…

超常現象

元禄15年12月20日。昨夜、大岡又右衛門が小便に出て、たちまち卒中で倒れる。気を失くして縁の下へ落ちる。その時脇差が抜けて、衣服ごしに片腹を2、3寸(1寸は約3センチ)突いてしまう。この日、彦兵殿がやって来て死骸を見られる。死んでから落…

有名な赤穂浪士の討ち入り

元禄15年12月15日。夜、江戸で浅野内匠家来47人が亡き主の恨みに報いると吉良上野介の首を取り、泉岳寺へ立ち退く。

放火に追剥とは物騒な

元禄15年12月14日。近頃、熱田へ2度放火がある。そのほか所々。近頃、勝曼寺東の坂や七曲で追剥がある。足軽や諸士が追剥にあうと。

運搬賃もかかるんですね

元禄12年12月12日。文左衛門は口米を出す。車賃は1人5俵140文。善右と伝右が米を確かめる。

困った奴だなあ

元禄15年12月9日。渡辺清蔵が馬廻となる。清蔵にはかなり借金があると、日々遊び暮らしていた。一家で毎年この金を償う。近頃、本町のべに(紅)屋が6両との交換にだまされ損をする。

勘定って何かのお金ですよね、この後、紙屋で盛大に宴会してるんですよね

元禄15年12月8日。文左衛門は辰巳両年の勘定を差し出す。寅刻(午前3時)、小さな地震がある。

年末の臨時収入

元禄15年12月5日。頼母子は平次左が取る。

年末に放火とは

元禄15年12月4日。平左で文左衛門は与三右などと頼母子を分ける。文左衛門はかけ金を引いて1両1分600文を受け取る。亥刻(午後9時)、出来町の破風から火が上がろうとするのを消し止める。放火であった。

元禄15年12月の天気です

元禄15年12月2日。曇。昼半(午後1時)過ぎから雨が降る。夜更けには晴れる。元禄15年12月3日。晴。風が吹き、寒い。元禄15年12月6日。寒い。元禄15年12月8日。快晴。元禄12年12月12日。暖かい。元禄15年12月13日。辰(午…

この前は馬を持てと言ったような

元禄15年11月29日。伊予守へ当分高木八郎左衛門の空屋敷を貸される。財政が厳しいので家中250石取に来年は馬飼料が下されないので、馬は持たないように。300石取は組で持ち、売った際には早く次を買い求め、間が長く空かないようにするようにと…

再発でしたから仕方ないか

元禄15年11月27日。巳(午前9時)過ぎ、十兵衛が亡くなる。年は67。

これは仕事ですかね

元禄15年11月27日。文左衛門は源右で口米帳面を確認する。

頼母子を自分でも始めたか

元禄15年11月26日。夕飯後、文左衛門の頼母子の䦰。善右・与三右へ落ちる。亥(午後9時)頃、駿河町下で1軒が焼けるが、文左衛門は知らなかった。

でも罪には問われてないのか

元禄15年11月25日。猪谷只四郎は瑞公(光友)からためし物の用を勤めるため10人扶持を下される。只四郎は忠蔵の子ではなく、今井左利知右衛門妹の子であった。父は生倉松伯という町医者であった。松伯が死んで左知右衛門が引き取った。金15両を付…

残念でした

元禄15年11月22日。夕飯後、文左衛門は勘八へ頼母子竃(䦰)取に出かける。加兵・伝十郎が獲る。

大火でけが人多数、でも活躍する者も

元禄15年11月18日。夕暮れから増左・甚五右・多渡都を呼び寄せる。小市も来るはずなのにやって来なかった。詳細は甚右衛門甥伊藤久右衛門が乱心し牢に入るも、閂の壺金をねじ切り、小市の羽織を着て大小を差し、書置きをして立ち退いたため。用があれ…

強制的とは辛い

元禄15年11月16日。国中の百姓は高100石に1分ずつの奈良大仏建立金を出す。この日に限ったことではなく、昨年も出しており、この年末にも出すことに。

そりゃ死体を見れば驚く

元禄15年11月15日。夜、鍛冶屋町から畠への途中で25、6女が首を切られて死んでいた。帯が解け、枕があった。暗くなってから男が長持ちをかついで女を連れていた。武平町下で道すがら女と争った。女は家へ帰ると言うのに無理やり御器所へ連れて行く…

少し酷なような気もするが

元禄15年11月14日。亥(午後9時)前、建中寺裏門向いの町屋から火が出る。1町(1町は約100メートル))ばかりが焼ける。子刻(午後11時)にはおさまる。火元は水道奉行方に出人の作兵衛が借りていた家であった。夫は巾下水道小屋に番に出かけ…

なんてこった

元禄15年11月13日。丑(午前1時)過ぎ、巾下飴屋町大橋息太夫家来の家から火が出る。借家も焼ける。今度で3年内で3回目の火事。近頃ようやく出来上がった家であった。

裏判があればその書面は大丈夫

元禄15年11月12日。文左衛門は役料裏判を取る。

元禄15年11月11日。夕飯後加兵へ頼母子に出かける。子(午後11時)前に帰る。近頃、大幸村で1人が首をくくって死ぬ。