名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

文左衛門はどうも日蓮宗がお好きじゃない

正徳4年3月18日。
深田宗伝が尾張を発ち、江戸へ向かう。

昨日から南寺町阿弥陀寺で諦文の一七日の談義が行われる。
その後、門下の法周寺から四十八夜を頼まれると。
この24日頃からは南寺町・誓願寺で主以智律師の説法が行われる。
その次は極楽寺で鐘鋳の勧化勧進)を主以智に頼まれる。
5月頃まで談義が行われるとのこと。
これらの上人は日蓮宗へのさやあて(争い)の名人(評判)であった。
日蓮宗では不満で、何かあったのか東寺町法輪寺で六老僧の肖像を作るためにまもなく二十八品の談義を始めると云々。

10日から14日まで橘町高顕寺で三千仏名を唱える法会が行われる。
僧や老若男女が集まる。
高顕寺は昔は東輪寺、今は万松寺の末寺である。
各が立って一仏に一礼ずつ、若い女の綿帽子、紫帽子、振袖など揺れ動き、とても素晴らしいと云々。
導師は天瑞の弟子八事の瑞峯と高顕の住持大沢和尚、その他にもあり。
次第に礼拝がせわしく行水となり、長い名の仏名を忘れてぐずつき、息をすうすうさせながら礼拝をする。

一昨日16日の夜、呉服町乗物弥十左衛門の嫁が自殺し損ねる。
嫁の祖父は御大工善介であった(・父は善左衛門)。
婚礼から30日程であった。
かつて十左衛門の後妻と継子善四郎はとても不和であった。
嫁を迎えろと父が言うが、継母がいる間は絶対に嫌だと云々。
いろいろあって去年妻を桑名に離別していた。
その後、箕浦清左衛門のところへこの女がやって来ていろんなことがあった。
この女は清左衛門の女房の姪であった。
何とかして清左衛門は女を帰した。
善右衛門の娘は嫁入りをして以来、この桑名の女の生霊が見えて心身が不安定になっていた。
このため人目を忍んで自殺しようとしたが人に見つけられて死にきれなかったと云々。
娘が身体が冷えると召仕などに触らせ、その後奥に入り、善四郎の脇指で咽を突きそこなう。